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2006/01/17
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カテゴリ:カテゴリ未分類
あれから11年・・・今日は阪神・淡路大震災のニュースが何度となく流れたし、思い出した方も多いと思う。

兵庫人である私もこの日には思い出すことがいろいろある。
11年前の今日。

「震災のときどこにいたの?」

震災からしばらく、よく聞かれた質問。
私は11年前の今日ケニヤのナイロビにいた。だから震災は体験しなかったのだけど、今でも不思議に思うエピソードがある。

本当なら11年前の今日、私は神戸の元町にいるはずだった。
幼なじみが元町に住んでいて、アフリカにしばらく行く前のゆっくりあっていろんな話をして、泊めてもらう予定だった。

今考えても不思議なのだけど、アフリカ行きが迫ってきたある日。何の理由もなく突然日程の変更がしたくなった。急に出発を1週間早めたくなったのです。
旅行代理店に変更を依頼すると「キャンセル待ちになります」とのこと。で、キャンセル待ちだと今確保している席はキャンセルしないといけないので、下手すると今確保している席も取れなくなってしまう可能性が大と言われてしまった。旅行代理店の担当者からは特に理由がないのならこのままの日程のほうがいいですよ・・なんていわれたんだけど、なぜかどうしても変更したかった。なので、「取れなくてもいいから変更してください。」

あー、やっぱり取れなかったか・・と思ってたら取れた。
なので、予定を1週間早めて友人宅にもお邪魔した。そして東アフリカへ。
もし、あの時意味もなく予定を変更していなかったら絶対にアフリカの地は踏めなかったと思う。幸い友人宅のある元町周辺はエアーポケットのように奇跡的に被害から逃れていたので、友人には何もなかったし、そこに私がいたとしても大丈夫だったと思う。
でも、あの日神戸を出て、成田へ行くことはできなかったと思う。

そして、ナイロビ。
震災の起きたとき、私は原因不明の測定不能の熱(つまりは42度以上)で寝込んでいた。
夜、ふらふらしながらトイレへ行ったとき、(安宿なので部屋にトイレはない)宿の人たちが集まってテレビを見ていた。で、通りかかった私にテレビを指座して「あれ、あなたの家族なんじゃない?」と言ってきた。
そのときの映像は、体育館のようなところにたくさんの日本人らしき人たちが集まっていたものだった。なんで、ナイロビなんかでこんななんに変哲もない風景画テレビで流れているんだろう・・と不思議に思ったけど、熱でぼ~っとしていたので宿の人たちに「似ているけど家族じゃないよ」と言ってフラフラしながら部屋に戻った。
後で考えてみればあれは震災で体育館などに避難していた人たちだったんだと思う。

熱でうなされていたので、次の日も寝ていた。でも、だいぶよくなってきたし、明日はようやく予定していたビクトリア湖へいけるかな・・・なんて思っていたら私を訪ねてきてくれた人がいた。

中央アフリカからケニヤにやってきた日本女性で、数日前たまたま知り合っていろいろ話をした人だった。大体一人でアフリカに長期できたりする女性ってあんまりいないので話も合った。いろいろ話したけど、彼女に自分のホテルの名前は言っていなかった。
西アフリカの商人の定宿のような、ちょっと変わっているけど、でもおもしろくて居心地のいいところだったんだけど、地球の歩き方などにのっているわけでもないし、マイナーなところなので名前を言っても仕方ないと思ったので、大体の場所と西アフリカ人が多いことだけを言ったように思う。

彼女は私が兵庫出身だったので震災のことを伝えてあげないと・・と思ったらしく、私の言ったホテルの特徴だけで一軒一軒ホテルを訪ねて探してくれたらしい。
ちなみ、その場所はリバーロード界隈。この辺は安宿がたくさんあるので、探すのは大変だったと思う。

夕方にやっと見つけ出して私の部屋を訪ねてくれた。もし、熱出してなかったら今頃はビクトリア湖にいたはず。震災のことを知ってもっと心配したか、はたまた知らないまま過ぎていたのか・・。
結局、既に遅かったので、その日は何もできなかった。震災の規模もまったくわからなかったし。
翌日、道端で売っていた新聞を見て愕然とした。その写真は阪神高速がずたずたになっている写真。たくさんの建物が崩壊している写真や家事の写真。
その時、「ああ、もう私の家族も家もなくなっているかもしれない」そう思った。

とりあえず日本大使館なら何か教えてくれるかなと思い言ってみた。
そこで言われたのは今はまず電話もつながらないし、飛行機のチケットも取りにくいだろう・・とのこと。
それでも、念のため電話局へ。
実家に祈るような気持ちで電話をかけてみた。

そしたら

あっさりつながった。そして父が出て、うちのほうはすごい揺れだったけどなんの被害もなかったことや神戸の友人も無事であることなどを聞いて、ほっとした。

でも、あのとき、一瞬で全てが無くなる、失うということはあるんだな・・と思った。
実際に11年前、あの震災でいろいろな大切なものを亡くした方が多数いる。

神戸は今も昔も大好きな街。
今はすっかりきれいになったけど、それでもやっぱり更地をみたりすると完全に復興したわけではないと実感する。第一、震災で大切な人、ものをなくした方の気持ちは今も11年前を変わらないと思う。

亡くなった方々のご冥福を心よりお祈りいたします。





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Last updated  2006/01/17 07:55:30 PM
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