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2013.12.17
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カテゴリ:歴史もの
町田清蔵

12~16まで帰省しておりました。今回は、本当にいろんな方々にお会いして、お話ができた充実の帰省でした。

お会いした皆さまは、ジャンルの違う方々ですが「薩摩藩英国留学生」については、共通話題でした。なぜ、銅像だけが突如登場して、教育現場ではスルーされたのか?以下は、これについて思うところです。あくまでも素人の個人的考えなので不適切な点があると思いますが、ご了承ください。

19人の留学生と外交使節。彼らをテーマにした「維新ふるさと館」の映像は、とても良く出来ていて、「知る」きっかけとして最適です。映像を見ると分りますが、華やかな経歴がある人物ばかりではありません。中央政府に関わらず、地元で生涯を終えた人物の跡をたどるのは、かなり専門的で、彼らが何を思って、その後を過ごしたのか、読み解くことができません。

思うに、留学したことは、「名誉」とは言い難かった一面もあったのかもしれません。帰国しても、いまだ古いしきたりや考え方が主流のなかギャップを感じ続け、周囲からも浮いた存在であったのではないか?例えば、西南の役の時、彼らがどういう立場で関わったのかが実は気になるのですが、表立って薩軍、官軍に関わった経歴が出てこないのは、彼らなりに思うところがあって、あの戦に消極的だったのでは?と推測します。

鹿児島ではいまだに幕末・明治を語る上で、西南の役でどちら側についたかと言うのは、かなり大きい。官軍側に対しては、厳しいです。が、関わらなった薩摩人は、厳しいどころか影が薄い…と、言うのが印象。

100年経過して、銅像建てられても、当時の彼らに冷たかったかもしれない郷土。(銅像にされなかった2人の扱いもあやふやだし)薩摩藩英国留学生は、単に留学して日本の発展に尽くした青年達を称えるだけでは、語れない複雑な事情が、彼らをあまり郷土の教育で取り上げなかった要因なのではないかと思うです。

記念館も来年7月開館ですが、見直すべき問題点を直視しないと、今更「ちやほや」してって感が否めないかもしれません。。まぁ それ以前に 「無関心」が大半を占めてる状況を打開せねばな。

町田清蔵>凄くユニークなエピソードが残っているのに、経歴は地味です。もっと知ることが出来たら 薩摩藩英国留学生 の面白さが増すと思うのですが…





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最終更新日  2013.12.17 16:08:32
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