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カテゴリ:聖書 信仰
「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。」(マタイ6:11)
「御国が来ますように。 みこころが天で行われるように 地でも行われますように。」 との祈りに続くこの祈り。 急にお祈りのテーマが小さくなってしまったような、 そんな印象を受けるかもしれません。 でも、この祈りを教えられたイエス様の目は、 今度は、私たちの普段の生活へとむいていくのです。 御国を待ち望み、御心を信じる人の信仰は、 実は、形となって、普段の生活にあらわれていくのだと。 「日ごとの糧」とは、もちろん「今日のごはん」のこと。 食べ物、それは私たちの生活の基本です。 この生活の基本を神さまに求めていくことは、 私たちの生活が、神さまに支えられているのだと自覚し、 さらに神さまに感謝し、期待していくことにつながっていきます。 エジプトを脱出したイスラエルの民が、 神さまが毎朝降らせる「マナ」という食べ物で、支えられたように、 私たちが自覚するしないに関わらず、 私たちの生活が、神さまの支えにあることを 日々祈りの中で、覚えたいものです。 最後にこの祈りを通して、 私たちは、身の回りの些細なことを 神さまに信頼して、求めていくことを学びます。 そして、こんな祈りの日々の積み重ねが、 後に大きな信仰へと、神さまへの信頼へとつながっていくのです。 そう、すべての良いものは、皆、神さまから来るのですから。 小さいことでも大きいことでも、 すべて神さまに期待していきたいものです。 【信仰もんどう81】 <しつもん> 「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください」というお祈りには、 どんな意味があるのですか? <こたえ> すべての良いものをくださる神さまに、 私たちの生活の必要いっさいを期待し、 信頼していくことができるように助けてくださいと、 私たちはここで祈っているのです。 <感想> うちは決して豊かではないけれど、 毎日のごはんに事欠くことはない。 そんな中で、「日ごとの糧を」と祈ることは難しいことかもしれない。 でも、食事に代表されるような日常の必要を どれほど神さまに求めて期待しているだろうか。 説教の中で、主人がひとりの姉妹の話をしていた。 彼女はこんなことを言っていたと。 「年をとって、からだが弱くなると、 何をするのも祈らないとできなくなってしまった。 洗濯をする前、ごはんを作る前、掃除をする前・・・。」 いつの間にか、私は、自分のことは 自分の力ですべてしていると思っていたのではなかったか。 今、こうして日常生活が営めるのは、 当たり前のことではなく、 神さまの恵みであることを忘れてはいなかったか。 日常生活の些細なことを神さまに求め、期待していく、 そんな祈りの生活を もう一度立て直さなければと思わされた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.10.23 23:35:44
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