「アブラム家族と甥のロト家族がエジプトを出て、
ネゲブというところに住んでいた時のこと、
双方の財産、家畜が増えたこともあり、
彼らの住む場所が手狭になってきた。
そこでアブラムは提案する。
別れて住もう。
ロトが好きな方の土地を取るようにと。
ロトは、迷わず、良く土地の潤っていたヨルダンの低地を選ぶ。
そこには、後に神によって滅ぼされることになる
乱れたよこしまな町ソドムが近くにあったにもかかわらず。
アブラムは、残されたカナンの地に留まり、
神からの祝福の約束を受けることになる。」
(創世記13:1~18の概要)
両家の牧者たちの間に争いが起こったのが、事の発端。
双方の家畜が増え、
牧草にも限りがあったために起こった衝突だった。
ここで注目すべきは、
年長者で、自分の権利を主張することもできたであろうアブラムが、
それを放棄し、甥のロトに土地を選ばせたということ。
裁判やお金で解決することもできたであろう。
しかし、アブラムはあえて、信仰的な解決を求める。
その結果はどうであったろう。
一見当たりくじを引いたのはロトで貧乏くじを引いたのはアブラムに見えた。
しかし、神の祝福はアブラムに!
大当たりを引いたのは、まさにアブラムの方だった!
二人の違いはどこにあったのだろう。
ロトは、ヨルダンの低地のいかにも潤った肥えた土地を選んだ。
要するに「見た目」に捕らえられてしまったのだ。
それに対して、アブラムはどうだったか。
約束の地カナンから動こうとはしなかった。
神の約束を何よりも大事にしたのだった。
私たちは、何を大事にして生きるのか。
選択の際、そこがいつも問われていく。
そう、人生は何を選ぶかで別れていく。
私たちは、朝起きてから夜寝るまで、
あらゆる事を選択しながら生きている。
朝パンを食べるかごはんを食べるかなどのように
どちらでも大差がないレベルのものがほとんどかもしれない。
しかし、人生の中には大事な選択をしなくてはいけないときがある。
学校を決めるとき、仕事を選ぶとき、結婚相手を選ぶときなど。
その時に何が神さまの喜ばれる道なのか、
考えながら選ぶ人になってほしい。
見えるものではなく、今は見えないものに目を留めて選んでほしい。
「信仰」、それは目に見えない神さまの祝福にかける生き方なのかだから。
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子どもたちに語る主人は、いつになく力が入っていた。
これから人生の多くの選択をしていかなければならない子どもたち。
信仰の決断をしてほしい。
目の前の目に見える事だけを見て、判断してほしくない。
何か主に喜ばれることで、
主の御旨にかなっていることなのか、
祈りつつ決めてほしい。
そして、主に祝福された人生を歩んでほしい。
上っ面のもろい幸せでなく、
本当の幸せをつかんでほしい。
本当の大当たりくじを引いてほしい。
それが私たち親の心からの願いです。