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テーマ:お茶人の今日の一日(754)
カテゴリ:茶道日記
市内のデパートで萩焼の作家先生の「名誉教授称号記念」の陶芸展があり、添釜のお席に寄せていただきました。
主茶碗、替茶碗はもちろんのこと、数茶碗と水指がその作家先生の作品でした。 そして、萩からわざわざお菓子をご持参くださっているのだそうです。 夏みかんで作られているお菓子で、完熟したみかんの実と、まだ青いみかんの実を、煮てから乾燥させているのでしょうか。 お砂糖がまぶしてあります。 そう、「初夢」とか「初なすび」と言う銘の「茄子のお菓子」の「夏みかん」版です。 きっと利休さんの頃のお菓子ってこんなだったのかしら?と、勝手に想像を巡らせてみました。 「おめでたいお席なので」とご亭主さんは紅白の萩を挿されていました。 棗は「宝尽し」 建水は「砂金袋」 蓋置には「鶴」の絵付け。 また、釜の鐶付は「熨斗」と、細かなところにまで「お祝いの気持ち」が演出されているお道具組です。 お点前も終わり、ご正客とご亭主の挨拶が交わされた後のことでした。 ご正客が改めて蓋置について尋ねられました。 正客をはじめ、その席に入られたお客様のほとんどが、その蓋置も今回の出品作品だと思っていらしたようでした。 かく言う私もそう思っていました。 「蓋置は私の持ち出しです」とご亭主がおっしゃった瞬間、お茶碗から蓋置にみなさんの興味が移ったことが手に取るようにわかりました。 もっとも、数茶碗も作家先生の作品なので、一人一人がお茶碗を手にしているのですから、多少は仕方ないことなのかもしれません。 ただ、最後の最後で主役の座が交代してしまった感が否めません。 なんとなく釈然としないまま、お席を後にしました。 家に帰って考えてみました。 私の思い過ごしかもしれませんが、今回のお席はあくまで「添釜」です。 主役はその作家先生の作品。 その他のお道具は脇役であって、主役を盛りたてたり、主役に花を添えるものではないでしょうか。 私にはこの出来事で、最後の最後で主役の座が交代してしまった感が否めません。 ご亭主の「お祝いの気持ち」が理解できないわけではないのですが、逆に作家先生に失礼かなと思えて仕方ないのです。 どんな趣旨のお茶会なのか、主になるお道具がどれで、脇を固めるお道具はどれなのかをしっかり と考えてお道具組みをしなくてはいけないと考えさせられました。 私がお席を持つ時は、今日感じたことを生かしたいと思います。 まぁ、次に私がお席持ちをするのがいつになるかは見当もつきませんが・・・。 お花だけ断わりを言って撮らさせてもらいました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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