2248129 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

太鼓屋ちら 百珍WEB

太鼓屋ちら 百珍WEB

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

ドラマーちら

ドラマーちら

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

コメントに書き込みはありません。

Headline News

2020年10月31日
XML

ヒッピー(英: Hippie, Hippy)は、1960年代後半にアメリカ合衆国に登場した、既成社会の伝統、制度など、それ以前の保守的な男性優位の価値観を否定するカウンターカルチャー (en:Counterculture) の一翼を担った人々、およびそのムーブメント。ヒッピーは1950年代のビートニクスの思想を継承した。

サマー・オブ・ラブ(Summer of Love)は、1967年夏にアメリカ合衆国を中心に巻き起こった、文化的、政治的な主張を伴う社会現象。

わたしが小学校3年~6年生の頃、国立にもヒッピー文化の洗礼を受けた、大学生が沢山いたものだ。かれらは、街の上あちこちで、ギターをかき鳴らしプロテストソングを歌い、平和を主張していたのだろう。大学通りにあるライブハウス地球屋のあたりには、ペットショップがあり、サルやペンギンまで販売されていた。学生のデモ行進でのシュプレヒコール「安保粉砕!!!闘争勝利!!!」は、未だ鮮明に脳裏に焼き付いて離れない。近年、あのデモには、一ツ橋大生を上回る国高生が加わっていたと知った。当時の国立は、市会議員の過半数が共産党員で、当局による関係者宅の盗聴が発覚するなど、きな臭い香りも漂っていた。一ツ橋大学の学祭では、中古レコードの他、赤くて小さい豆本の毛沢東語録が、翻訳され売られていた。子供ながら、毛沢東を尊敬していた私は、少ない小遣いで買った。後に、まだ自転車が沢山道路を占拠していた中国に渡航し、憧れの板門店にある、毛沢東の大きなボードを目の当たりにしたが、それは、小学生だった私が、毛沢東を神格化していたことに、起因するものだ。当時学生だったヒッピーは、いまや70代だが、近年、国立に再び舞い戻ってきた。かけこみ亭や地球屋には、そういったミュージシャンや詩人が、タムロしているから嬉しい。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2020年10月31日 15時56分11秒
[国立(くにたち)関係] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.