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kanabaaのイタリアciclismo見聞録

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2019.12.30
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​​​​​先ずはこれまでの経緯を。

イタリアと自転車が大好きで、2013年から毎年欠かさず、5月にジロ・デ・イタリア(以下「ジロ」。)の観戦に出かけている、私、北村香奈江。

2017年は、その前年のJapan Cup2016に日伊共同チーム、Nippoのスタッフとして来日し、意気投合した女性、Leonilde Trescaさんに招かれて、サルディニアでのジロのスタートを見に行くことになりました。

ところが、ジロにエースとして出走予定だったミケーレ・スカルポーニ選手が練習中に交通事故で亡くなり、ファンから何かできることがないかと、声が上がりました。そこで、ジロに観戦に行く私が、日本の友人たちと集めた支援のお金を、ご遺族、特に奥様と五歳の双児の息子さんにお渡しするよう、Leonildeさんの取りなしで、スカルポーニ選手の属していたチームに託すことになりました。その模様がイタリアのジャーナリストによってインターネットで紹介され、記事を読まれた駐日イタリア大使から共和国記念日のレセプションに招待される、ということがありました。

2018年のジロの前にスカルポーニ選手のご遺族かミケーレ・スカルポーニ基金をたちあげ、2018年のジロ観戦時には、私も現地でご遺族に会って寄付をさせていただきました

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2017年にチームにお金を託す

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2018年にはご遺族に直接募金を渡す

 

さて、いよいよ2019年のジロの報告をいたします。

 

昨年予告したとおり、2019年511日のジロ・デ・イタリア開幕の地ボローニャに行ってきました。

今回の目的はただ一つ。ジロのスタート地点に201810月に宇都宮で開催されたJapan Cup Cycle Road Raceで募ったミケーレ・スカルポーニ基金への募金を持っていくことでした!募金はジロやツールドフランスの記事で作った新聞バッグをお譲りすることで取り組ませていただきました。





Japan Cup2018での取り組み

 

さて、ボローニャに到着すると、サプライズが待ち受けていました。Leonildeさんから、「夕食会に招かれているから、一緒にどう?」と誘われ、軽い気持ちでオッケーの返事をしていたのですが、なんと、それは、イタリアのサイクリストのクラブ、BiciClubItalianoの開催する、100人はくだらない関係者の集まったパーティーだったのです!そして、夕食会の前にマルコ・スカルポーニさん(ミケーレのお兄様)に会って、直に募金をお渡しすることができました。






​募金をご遺族に渡す​


また、元自転車選手で事故のため脊髄を痛め障害が残ってしまったけれど、今は怪我をしたアスリートの支援活動を行なっている、マリーナ・ロモーリさんも知り合いになり、夕食会では隣の席につかせていただきました。

そのほかにも、ペタッキ、ガルゼッリ、シモーニなどのイタリア自転車界のレジェンドたちにも会えて光栄の至りです。






BiciClubItalianoの夕食会の模様


その夜は、ボローニャの丘の上にある、
Leonildeの自宅にお世話になり、翌日のジロのスタートの個人タイムトライアルの模様を見届けた後はとんぼ返りで帰国。

短い旅でしたが、ジロ・デ・イタリアに参戦していたNippoの日本人選手やスタッフにも会えて、大会の雰囲気を満喫してきました。

また、お知り合いになったジャーナリストの友人にはネット上にジロ観戦にやってきた日本人とオーストラリア人とシチリア人と言う画像をアップしていただきました。








​ジロスタートの模様​


スポーツイベントは選手だけではなく、そこに集う人々によっても作り上げられていることを実感しました。

ジロのキャッチフレーズは「世界で最も美しい国の最も過酷なレース」。五月の3週間の間、イタリアを代表する風光明媚な町や村を野を超え山超えてチーム一丸となってエースを勝たせるために進む様は、あたかも人生を見るようです。

私がイタリア語を勉強しはじめたのは、1999年にセリエAでプレーしていた中田英寿選手が出場しているサッカーの試合を見にペルージャに行ったことがきっかけです。当時、ユーゴ内戦で沢山の難民がイタリアにも来ており、ペルージャのスタジアム周辺では、カトリックの皆さんが難民支援の募金を行なっていました。イタリアにある基地からアドリア海を越えてNATOがユーゴに空爆を行っていることに反対するイタリア人も多くいる、ということをペルージャ大学でイタリア語を学んでいる日本人に聞きました。言葉がわからなかったばかりに、現地で支援の輪に加われなかったことは、日頃から組合活動を行なってきた自分としては大変残念なことで、帰国後すぐにイタリア語を学びはじめました。

巡り巡って、今は路上の安全のための活動の一端を担わせていただいています。

自分にできることで、これからもイタリアとの関わりを続けていきたいと思っています。

 

 

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Last updated  2019.12.30 10:36:08
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