|
カテゴリ:読書案内
【大塚ひかり/『源氏物語』第三巻 若菜上~夕霧】
◆宗教観、死生観満載のクライマックス 『源氏物語』も“若菜上・下”巻に至ると、いよいよ大詰めだ。 個人的にはこの若菜巻が一番好きだ。 “ひきこもり”というのは、現代を生きる若者が、何らかの理由で社会に適応できずに家にこもりっきりになることを指すのだが、現代社会が抱える苦悩だと思っていたら、大間違いだった。 現代どころか千年も前から“ひきこもり”は存在したのだ。 第四巻では、光源氏の正妻・女三の宮を犯してしまった柏木が、事がバレた後になってそら恐ろしくなり、食べ物も喉を通らず、みるみるうちに衰弱して結局、絶命してしまうというくだりがある。この時のひきこもり状態の描写は素晴らしい。 気位ばかり高く、親のすねをかじって生きて来た若き柏木は、これまで挫折を味わったことがなかった。そんな柏木が抱える苦悩は、現代で言うなら、東大卒のエリート官僚が色恋沙汰で失脚するとか、いじめにあって登社拒否をするなどの図にも似ている。 第四巻の目次は次のとおりだ。 若菜上→若菜下→柏木→横笛→鈴虫→夕霧 となっている。 この『源氏物語』を理解する上で必要不可欠なのが、光源氏を取り巻く関係図であろう。私は自分なりに分かりやすく光源氏の愛人、妻、親、兄弟を図にしながら読み進めてみた。だが、そんな面倒くさいことをしなくても、最近の現代語訳やマンガ版などを見ると、とても丁寧な関係図が付録として掲載されているのでぜひとも参考にしてもらいたい。 『源氏物語』のユニークな親子関係に、源氏とその息子・夕霧の存在がある。この二人の対極的な性格、性質は非常に興味深い。 容姿は似ているのだが、女性に対しての扱いとか思いやりとか、“色”に関することでは全く似ていないのだ。源氏はどんな女性に対しても手厚く、義理は果たすし、もちろん情けもかける。歯の浮くような艶っぽい歌を送って女性の心をときめかすのも忘れない。 対する息子・夕霧は真面目で律儀。危険な恋にはあまりのめり込まないようにしている節もある。 幼なじみでもある正妻・雲居雁だけを一筋に、結婚生活を送って来た堅物だ。 ところがここへ来て恋に目覚めてしまうのだ。真面目な男が恋をすると、真面目に浮気もするのでコワイ。 相手は光源氏(父)の正妻・女三の宮の異母姉・女二の宮である。※夕霧の母は出産後に亡くなってしまった正妻・葵の上。 (こういうところを理解するのに関係図が必須になる) 結局、夕霧はこの女二の宮と結婚することになるのだが(当時は一夫多妻なので問題ない)、そこまでのドタバタ感がなんとも滑稽で、源氏とお相手の姫君のような艶っぽい関係には及ばない。親子といえども全くの別人格であることがよく分かるくだりだ。 さらに紫式部はこの巻に、宗教観さえ反映させている。 当時、仏教がブーム(?)で、何かとすぐ出家するのが流行だった。そんな中、紫式部は、仏を学んでいる僧侶たちを下種の極みのように悪役に仕立てている。 人が病に伏して出家し、仏に延命を乞うたところで、命に限りがあることには変わらない。そこで紫式部は、「いくら僧侶にお金を積んだところでどうにもならない。仏の力など頼みにはならないのだ」という宗教観を漂わせている。これは「そのとおり!」と同感。 紫式部という人物は、一体どれだけ聡明なのか?! (もちろん、仏教という教えに対する否定ではなく、それに胡坐をかいている僧侶たちへの非難である) 大塚ひかりの解説にもあるように、『源氏物語』を読むと、「人はなぜ悩むのか、何のために生きるのか、人の一生とは何なのか、といった根源的な問いにぶち当たります。そして、これこそが文学なのでは・・・」私も全く同じ感想を持ってしまった。 『源氏物語』は、哲学という学問のなかった当時、限りなく哲学的概念を兼ね備えた崇高な古典文学なのである。 『源氏物語』 第四巻 若菜上~夕霧 大塚ひかり全訳 ※ご参考 大塚ひかりの『源氏物語』 ★第一巻/桐壺~賢木 ★第二巻/花散里~少女 ★第三巻/玉鬘~藤裏葉 ☆次回(読書案内No.85)は大塚ひかりの『源氏物語 第五巻』を予定しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.08.03 05:44:25
コメント(0) | コメントを書く
[読書案内] カテゴリの最新記事
|