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カテゴリ:訃報
菊池寛氏に献杯
昭和二十三年三月六日、菊池寛が亡くなった。享年五十九歳。 画はサザエさんで有名な長谷川町子さんによる。残された菊池寛の写真も楽しいが、この画は実に素晴らしい。なんだか菊池寛の内面まで見えてくる。 後日談も多い御仁ではあるが、きっといい人だったことに間違いはない。 生前は多くの友人知人のために涙を流した氏である。 明日の祥月命日は、一人でも多くの人が氏を偲んでくれること願ってやまない。 また願わくは、いまだ活躍中の芥川賞直木賞の受賞作家は、現在あるのは菊池寛のおかげと心得て、氏のために献杯を捧げてほしい。 ちなみに氏の葬儀は三月十二日、音羽の護国寺で執り行われた。葬儀委員長に久米正雄、川端康成が弔辞を読み林芙美子が献詩を上げている。 氏の人となりについては「天地人」をご参考されたい。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ~東奥日報「天地人」2013年3月6日付 小説家の菊池寛は親友の芥川龍之介が死んだ時、その枕元で泣いた。直木三十五(さんじゅうご)が死んだ時は東大病院で号泣したという。よほど無念だったのだろう。二人の名前にちなんで芥川賞と直木賞を創設した。「(二つとも)あの涙から生まれたような気がする」と、小説家の川口松太郎が書いている。 小説家の織田作之助が発病して宿屋で寝ているのを菊池が見舞った時は、織田の方がおいおい泣いたという話もある。いま「競争だ」「合理化だ」と世間の風は世知辛い。そんな人間味のない風に当てられているせいか、菊池にまつわる話は心にしみる。 旧制一高(東大教養学部の前身)時代、菊池は窃盗事件で友人の罪をかぶり退学した。「文教関係に勤める父が職にいられなくなる」。友人がそう言って泣くので、菊池は罪を認めさせようという気になれなかったのだ。 新渡戸稲造校長が後で真相を知り、寛大に計らおうとした。が、菊池は「前言を翻すのは卑怯(ひきょう)」と、最後まで罪をかぶる。そんな男気もあった。とはいえ、金もなく行く当てもない。そこを金持ちの同級生に救われるのだから、世の中は面白い。同級生の親が経済的な面倒を見てくれたため、菊池は京大に進むことができた。 文藝春秋の社長でいた頃、食えない作家がやってくると、ポケットから五円札、十円札を取り出し、無造作に与えたという。少年時代に受けた恩を忘れず、世間に返し続けていたのだ。まるで人情物語のような人生だ。菊池は65年前のきょう59歳で亡くなった。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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