|
カテゴリ:写経の勧め
札所ではありませんがこのような外院が知多四国八十八ヶ所霊場には10箇所あります。 こちらを巡拝した時デジャブがありました。 何か見たことある風景や記憶ってありませんか? 駐車場に入っていく裏の小道から、お堂の中の弘法さんまで、昔、夢で見た景色がそのままだったのです。 ものすごく観光していないお寺さんだったから、小さい頃にきたことなど一度も無いはず。 それなのに見たことのある景色。 不思議な体験です。 そのときに感じた怖さとお堂の中の数十体の仏サンを見た怖さと感覚まで一緒でした。 東光寺の由来(HPより) 東光寺の開創は明治36年(1903) 東光寺を開いた中村誠感上人は、西尾市の農家に生れましたが、道心已み難く、大浜の海徳寺の弟子となりました。 そのときから一寺建立を念願しておりましたが、その後、明治33年縁あって今の所にに説教所を開き、次いで和歌山市永山にあった東光寺から寺号と本尊を移し寺が設立されました。 上人が東光寺を開いた所以は、この地方の弘法信者のため大師をまつりたいということでした。 上人は三体弘法大師、歳弘法六十二体、四国八十八ヶ所各寺の本尊の写しなどを次々と迎えられました。 上人がつくられた多くの大師像はあまり他では見られないものです、このあたりでは最大級の立像の三体大師、歳弘法のなかの全身金色の像などがそれです。 西山浄土宗の寺が、何故弘法大師の霊場になっているのかと云われる方がありますので、このことについて、説明します。 宗祖法然上人は四国配流の砌、讃岐霊場を巡拝されました。 以下勅修御伝(法然上人行状絵図)の中の一節です 「上人在国のあいだ、国中霊験の地巡礼したまふ中に、善通寺という寺は、弘法大師、父のために建てられたる寺なりけり、この寺の記文に「一度も詣でなん人は、かならず一佛浄土の朋たるべし」とあり、この度の思い出、この事なりとぞよろこび仰せられける」 他力念仏往生を勧められた宗祖法然上人も、霊場巡拝をなさったのです。 霊場巡拝は宗派を超えたわが国の美風です。 亀宝山東光寺 半田市亀崎月見町3丁目14番地 0569-28-2622 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年02月05日 09時04分10秒
コメント(0) | コメントを書く
[写経の勧め] カテゴリの最新記事
|
|