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みなさんたくさんのエントリーありがとうございます。うれしい悲鳴。
倍率が上がり、責任重大ですが、平等に抽選し、発表しますので、もうしばらくお待ちくださいね。 締め切りは、あさって。 抽選・発表は、来週以降になると思います。 さて、 その日、 わたしは 直腸がんの患者さんに出会いました。 まだ30歳になって間もないかわいらしい方でした。 一年半前に告知を受け、赤ちゃんを授かっていたのに、検査や治療が受けられないから、苦渋の決断で赤ちゃんをあきらめてしまったと、涙ながらに話されていました。 たまたま隣り合わせに座って話を聞いていたわたし。 とても人ごととは思えなくて。 かなり迷いましたが、気がついたら彼女に声をかけていました。 「辛かったですね」と。それ以外には何も言えないし、何もできなかったですけれど。 がんの告知は、人の人生を大きく狂わせる。周りも巻き込みながら。 夢も希望も吹き飛ばし、遠慮なしにずかずかと、入ってくる。 せっかく授かった命を、自分の命と引き換えに葬らなければならなかった彼女。 どんな想いだったことだろう。 堕ろすことで、母体には傷が残る。もしかしたらもう二度と赤ちゃんを授かることはないかもしれない。 その想いは、いかばかりだったろうか。 思わず、「私もがんです。がんになった後に赤ちゃんを授かり、産みました。ムスメは今、五歳になりました」と伝えたら、気が少し楽になられたのか、少し驚かれたのか、涙をぽろぽろこぼされていました。 その涙を見て、私も涙をぽろぽろこぼしました。 私も、がんになった後に命を授かったので、実は、手放しで喜んだわけではなかった。 「産む」という決断を下すには、タイムリミットがある。再発や転移が怖くて、ぎりぎりまで、「堕ろす」ことが頭の中をぐるぐるしていた。迷いに迷った。 誰よりもこどもを待ち望んでいた旦那や、孫を抱くことを心待ちにしていた両親は、私がマイナスの決断を下そうとしていたから、悲しみに暮れていた。 その時の私は、自分の命が一番大事だったんだ。 結局、「産む」と決めた最大の理由は、旦那と周囲の支えと、主治医の「あなたと同じような病の人は、出産したくてもできない人がたくさんいるんだよ。妊娠するのだって、奇跡的。再発するかどうかなんて、誰にもわからない。するかもしれないし、しないかもしれない。妊娠は神秘だから、産んだらどうね?」の一言と、福岡で一番支えてくださったお医者さん(私の福岡のお父さん)の「産んだらどうね?大丈夫よ。孫の顔見せてー。あんたの子は可愛かろうねぇ」コールと、とどめは、実父の、「死ぬ気で産め」の一言だった。 産後から一年半。私のがんは結局再発したけれど。 その時は辛かったけれど、今は、本当にあの時支えてくれた人に感謝している。 後悔は全くしていません。 ムスメは、今や、最大で最強の私のサポーター。 あそこで諦めていたら、ムスメには出会えなかったのだ。 ムスメがいなかったら、正直、ここまでも、これからも、頑張っていけたかどうか、わからない。 ムスメに出会えたことは、私がこの世にいたという証だ。 自分より大事な存在に出逢えたことは、私の人生の宝。 サポーターの力は最強。 私の人生の目的は、これだったのかな。 かわいらしい彼女とは、またどこかで出会える気がする。 あんなに綺麗なナミダを流すことができる彼女だから。 彼女のところに、赤ちゃんがまたやってきてくれることも、信じている。 ムスメと出会えたことに、あらためて感謝しつつ。 最大で最強のサポーターちゃん、ありがとう。 この世でしっかりあなたの幸せを見せてもらうからね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
読みながら号泣してしまいました。本当に娘さんに出会えてよかったですね!がんサバイバーであり、出産までされているさくらさんは、私にとって憧れの存在、本当に希望の星です。自分自身の事ではないので書いていいものか迷いましたが・・・私の彼は、昨年26歳で舌ガンになりました。術後元気に仕事復帰したものの、再発し、現在闘病中です。再発した時、彼は私に「好きな子ができたから別れて欲しい」とだけメールで告げ、連絡がとれなくなりました。約1ヵ月後、人づてに再発の事を聞いた次第です。幼稚園教諭(3月で退職しましたが)をしていた私が、子ども大好きな事を知ってる彼は、放射線治療や抗がん剤治療をしなければならない=赤ちゃんは難しい・・・と判断したのではないかと感じています。彼のそばで力になりたい!それだけなんですが・・・、適齢期の私の存在自体が彼のストレスになっては困るので、今は毎日何気ない内容のメールを1通だけ送って、彼の回復を祈って暮らしています。だから厳密に言うと、彼ではなく元彼になるんですけどねぇ~(^-^;)でも私はあきらめませんよ(笑)
彼が病気になるまでは、結婚した夫婦に子どもができる事を、どこか当たり前とさえ感じていた私。でもそれって、“奇跡”なんじゃと思います。先生をしてた時、よく子育ての悩みを相談されたりしてましたが、悩めるのも子どもを授かったこそなんだわ♪と頑張って欲しいなぁと思いながら、心の中で盛大にエールを送りつつ、冷静に聞いてました(笑)子育てってホントにホントにホントに大変な事でしょうが、だからこそ喜びもひとしおかなと・・・。何だかまとまりがなくてすみません(-.-;)さくらさんが出会われた方も、きっと私みたいに、さくらさんに希望の光を感じて涙されたんじゃないかな~と思ったら、もういてもたってもいられなくて(*^-^*) 長くなってすみませんでした。 (2008.05.13 20:48:14)
私はがんではありませんが
ある事情で命がけで、 命がけの決断で息子を出産しました。 病気だけでなく、色々な事情を抱えている人は たくさんいます。 私もさくらさんと同じで、あの時 息子を産んでいなかったら、息子には会えなかった。 私の決断は間違っていなかったと 毎日思いながら生きています。 子供も親の背中を見て生きています。 お互い力強く生きましょうね^^ (2008.05.13 21:44:47)
その彼女きっとこれから授かるような気がします(勝手ですが・・・)
さくらさんと一緒、わたしも今の主治医に出会ったこと、意思の固い夫に感謝し、今月より我が子を抱く夢に賭けます、そしてさくらさんからの以前のメッセージも私の心にしかりと刻まれています、忘れているかもしれませんが(笑) 今じゃ~『この大病院で例を作って見せます』と偉そうにいえる状態まで成長しましたよ。 どうもありがとう^^ (2008.05.13 22:44:36)
ご無沙汰しております。辛いお話ですね。善人になんでこんなに多くの困難がって思いたくなりますね。
妻の親友も可愛い子供たちを残して天国に召された時も神様なんていない!っと子供のような事をずっと思っていました。いや今でも思っているかも知れません。私のような凡人には何も言える言葉が見つかりませんが、家族の力って凄いですよね。子どもたちの寝顔を眺めながらあらためて感謝したいと思います。 (2008.05.13 22:50:10)
初めまして。
読みながら泣いてしまいました。 彼女がそこでさくらさんに会えてよかったなぁと思いました。 それまで胸を締め付けていたものが少しほどけてくれたと思います。 みんな幸せになれますように! (2008.05.14 08:21:33)
あの日、あなたからのメールを読んで、父がとっても嬉しそうにしていたのを覚えています。私は花嫁姿さえ見せてあげられなかったけれど、あなたのおかげで父は「孫」を抱くことができました。ありがとう…
ん?ってことは、私たちは「姉妹」?(笑) (2008.05.14 08:28:55)
可愛らしい彼女はさくらさんの言葉でとても救われたと思います。
前向きな気持ちになられたんじゃないでしょうか。 さくらさんも沢山の人々の大きな支えで可愛い天使が授かった。 皆々、支えあって生きてる。 素晴らしい事ですね。 (2008.05.14 15:19:49)
腰が痛いのは辛いものです。 私も14年間悩まされました。 私が考案した腰痛解消法をお試しください。 現在、日本で一番多く実践されるようになりました。 【3分腰痛解消法】で、検索すると見つかります。 腰をお大事に。 (2008.05.14 22:28:14)
泣きました。いろいろ思い出しました。
家族としていろんな決断の時がありました。 そんな時ほかの患者さんから心温まるアドバイスを たくさんいただきました。今でも感謝しています。 心のつながりって大きい支えですね。 もちろん家族も。 (2008.05.16 01:59:32)
はじめまして。時々拝見させていただいてます。
ムスメさんのお写真、本当にかわいらしくっていつも心が和みます。 さくらさんの思いをうかがった後、この愛らしいムスメさんはさくらさんに会うために生まれてきたのねってジンっと感じました。 娘のパワーの源は母の愛だったりしますしね。 でも、生んでくれたからここにいるんだし、母は偉大です。(もちろん父もね) (2008.05.16 14:58:15)
私も、知恵さんのような、ママを目指して、頑張ります。
(2012.06.04 18:41:18)
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