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カテゴリ:サンレモの歌手たち
★エンツォ・カレッラ (vm) Enzo Carella 本名ヴィンチェンツォ・カレッラ(Vincenzo Carella)1952年1月8日 - 2017年2月21日ローマ生・没、自作自演歌手。
活動期間:1976年 – 2017年 所属レコード会社:IT, RCA Italiana サンレモ音楽祭出場1回:1979年第2位 オフィシャル・サイト:https://myspace.com/enzocarella
ヴィンチェンツォは12、3才の頃から音楽に興味を持ち、13才の時に両親からプレゼントされたギターで彼が好きだったアドリアーノ・チェレンターノ(Adriano Celentano)やファブリツィオ・デ・アンドレ(FabrizioDe André)、外国のボブ・ディラン(Bob Dylan)、ビートルズ(TheBeatles)やローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)を独学で弾くようになります。 前年サンレモ音楽祭で第2位になったほぼ同世代のリノ・ガエターノ (Rino Gaetano)もそうだったように彼らは新しいカンツォーネの担い手たちの入り口だったのかもしれません。
1966年18才になり高校を卒業、大学の建築学部に進学しました。一方音楽ではジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)の曲に出会い、深く共感しています。
大学に通いながら、彼は様々なローマのバンドと地下のライヴや学校dなどのパーティーでロックとブルースを演奏していました。やがて彼はロンドン、アムステルダム、コペンハーゲン、ベルリンなどヨーロッパ各地をヒッチハイクしています。
70年代にはボブ・ディランも出演した有名な英国のワイト島ポップ・フェスティバル(The Isle of Wight Festival)に行き、ヘンドリックスの最後のコンサートにも参加しました。
やがて音楽プロデューサー、アルフォンソ・ベッティーニ(Alfonso Bettini)の音楽集団GL6に参加し、その後生涯にわたり音楽創作活動を共にする作詞家パスクアーレ・パネッラ(Pasquale Panella)と巡り合いました。
ベッティーニは彼らの才能を見抜き、二人で作った“Fosse Vero”でエンツォ・カレッラを歌手として、ヴィンチェンツォ・ミコッチ(Vincenzo Micocci)の作った新人育成レコード会社ITからデビューさせました。
ZT- 7066 (1976年 IT – RCA Italiana) Fosse Vero/Si Rivede Ragazza ZT- 7066
翌77年デビュー曲“Fosse Vero”を入れたアルバム「Vocazione」が制作され、収録曲“Malamore”をシングル・カットして発売しています。ロックというよりはAORと言った方が近い音楽でした。 カレッラ自身も尊敬するルチオ・バティスティ(Lucio Battisti)系の歌手であったと言えるでしょう。ただ偉大過ぎるルーチョ・バッティスティの存在でエンツォ・カレッラの商業的成功は望めませんでした。
ZPLT-34017 (1977年 IT – RCA Italiana) Vocazione 1.Vocazione 2.Guarda L'Uccellino 3.Ballatetta 4.Fosse Vero 5.Malamore 6.L'Anima Pagliacciona 7.La Serietà 8.Il Sud È Un'Infanzia Sudata ZPLT-34017 ZBT- 7077 ZBT- 7077 (1977年6月 IT – RCA Italiana) Malamore/ Anima Pagliacciona
不可解な意味を持ったパネッラの歌詞とカレッラの曲は絶妙な調和で新しい世界を作り出します。
78年アルフォンソ・ベッティーニとマルコ・ルベッティ(Marco Luberti)のプロデュースで3枚目の“Amara”を出しました。
ZBT- 7094 (1978年5月 IT – RCA Italiana) Amara/Carmè ZBT- 7094 ZBT- 7127 ZBT- 7127 (1979年 IT – RCA Italiana) Barbara (バルバラ)/Veleno
79年第29回サンレモ音楽祭に“バルバラ”で見事第2位となりました。RCAイタリアーナ・グループは前年のアンナ・オクサ(Anna Oxa)とリノ・ガエターノ(Rino Gaetano)の成功で出場4歌手すべて新人を揃えたようでした。
すぐにサンレモ音楽祭出場曲“バルバラ”を収録したセカンド・アルバム「Barbara E Altri Carella」を発売しました。ローマの郊外新都市エウル(Eur)の競技場で写した写真のジャケットはカヴァーアート賞も受賞しています。
ZPLT-34065 (1979年 IT – RCA Italiana) Barbara E Altri Carella 1.Barbara (バルバラ) 2.Foto 3.Amara 4.Malamore 5.Carmè 6.Parigi 7.Sentimenti 8.Lupo 9.Oh Rai! ZPLT-34065 PL-31600 PL-31600 (1981年 RCA – RCA Italiana) Sfinge 1.Stai Molto Attenta 2.Sì, Si Può 3.Sex Show 4.Mare Sopra E Sotto 5.Sfinge [Voice – Hiliry Harvey] 6.Che Notte (Qui Con Te) 7.Contatto 8.Lei No 9.Riflessione Finale
1年置いて81年アルバム「Sfinge」を出しています。アルバム・テーマ曲“Sfinge”と“Si, Si Può”がシングル・カットされました。作曲はカレッラ自身ですが作詞のクレジットはヴェネーラ(Vanera)となっています。しかしこれはパスクアーレ・パネッラのペン・ネームでルチオ・バッティスティの数少ない親友アドリアーノ・パパラルド(Adriano Pappalardo)の曲に詞を付けるときにも使っています。
PB-6540 (1981年9月 RCA – RCA Italiana) Sfinge/Si, Si Può PB-6540
ITのヴィンチェンツォ・ミコッチとRCAイタリアーナの総帥エンニオ・メリス(Ennio Melis)の約束は、ミコッチが発掘した新人で有望なミュージシャンは親会社RCAイタリアーナと契約をしてして売り出すことになっていました。 カレッラもこの約束通りRCAイタリアーナの歌手となりましたが、この「スフインクス」がエンツォ・カレッラのレコード制作第1期最後の作品となります。サンレモ音楽祭で第2位を取ったとしても、商業的成功をしていないので、レコード会社も契約終了させたのではないでしょうか。
81年から92年までの11年間レコード制作は行われませんでした。と言ってもカレッラが音楽活動を止めていたわけでなく、2007年最後のアルバム「Ahoh Ye Nànà」をリリースした後のインタビューに答えて『私にとって音楽は愛、本当の情熱なので、レコードを作らなくても、楽しみのためにいつも新しい曲を演奏したり書いたりし続けています。』としています。
ここで少しルーチョ・バティスティとの関係も触れておきましょう。バティスティと作詞家モゴール(Mogol)の関係は共同経営のレコード会社ヌメロ・ウーノ(Numero Uno)の売上げ配分の事で亀裂を深め、80年バッティスティのアルバム「Una Giornata Uggiosa」を最後に両者は決別してしまいます。 バティスティがモゴールの後釜とした作詞家はヴェレツィア(Velezia)で、82年にアルバム「Egià」を作りました。この作詞家の名はバティスティの奥さんグラツィア・レティツィア・ヴェロネーゼ(Grazia Letizia Veronese)のペン・ネームです。しかし無理があったようで1枚だけで終わります。
モゴールに代わる作詞家を見つけました。それがパスクアーレ・パネッラでした。パネッラは86年の「Don Giovanni」、88年「L'Apparenza」、90年「La Sposa Occidentale」、92年「Cosa Succederà Alla Ragazza (C.S.A.R.)」、94年遺作となる「Hegel」の、『白の時代』5アルバムの作詞をしています。確認がとれませんでしたがこれらのオーケストレイションにエンツォ・カレッラが関わったと思われます。
91年11年ぶりにエンツォ・カレッラはパスクアーレ・パネッラと組んで新曲5曲とセルフ・カヴァー5曲の新アルバム「Carella De Carellis」を作りました。
74321-10402・1 (1992年 IT – BMG Ariola) Carella De Carellis 74321-10402・2 (1992年 IT – BMG Ariola) CD Carella De Carellis [0743211040228] 1.Aspetta E S.p.A. 2.Bubbà 3.L'Occhio Nero 4.La Pappa Del Cuore 5.Pensa Se Una 6.Fosse Vero 7.Barbara (バルバラ) 8.Amara 9.Malamore 10.Carmé 74321-10402・1 74321-10402・2
アルバム「Carella De Carellis」収録の新曲2曲をマキシ・シングルでリリースもしました。
74321-12855・1 (1992年 IT – BMG Ariola) 12”Maxi L' Occhio Nero/La Pappa Del Cuore 74321-12855・1 74321-15400・2 74321-15400・2 (1993年 IT – BMG Ariola) CD La Miseria/Partire (Televisori Viaggiatori) [0 743211 54002 5]
93年カレッラとパネッラはぽつんと1枚のCDシングルを出します。2年後93年のシングルCD曲を収録した二人のコラボ・アルバムと言えるタイトルも「Se Non Cantassi Sarei Nessuno l'Odissea di Panella e Carella」を出しています。
74321-26789・2 (1995年 IT – BMG Ariola) CD Se Non Cantassi Sarei Nessuno l'Odissea di Panella e Carella 1.Odissea 2.Solitudine Vera 3.Cara Al Cuore 4.Parti Nude 5.Capebomma 6.Solo Cielo E Mare 7.Tiempe Croce Doce 8.My Baby Is Back 9.La Miseria 10.Partire (Televisori Viaggiatori) 74321-26789・2 82876-65559・2(2) 82876-65559・2(2) (2004年 RCA – BMG Ricordi ) CD Enzo Carella - I Grandi Successi Originali [0828766555929] 1-1.Malamore 1-2.Vocazione 1-3.Fosse Vero 1-4.Il Sud È Un'infanzia Sudata 1-5.L'anima Pagliacciona 1-6.Barbara (バルバラ) 1-7.Carmè 1-8.Veleno 1-9.Sentimenti 1-10.Amara 1-11.Stai Molto Attenta 1-12. Si, Si Può 2-1.Sex Show 2-2.Mare Sopra E Sotto 2-3.Sfinge 2-4.Che Notte (Qui Con Te) 2-5.Aspetta E S.P.A. 2-6.L'occhio Nero 2-7.Pensa Se Una 2-8.La Miseria 2-9.Partire 2-10.Parti Nude 2-11.Solo Cielo E Mare 2-12.Tiempe Doce Doce
70年代、80年代のロック、ニューミュージックの発掘の動きもあり、BMGリコルディからエンツォの2枚組編集ベスト盤が発売されました。
2007年各アルバム制作当時にかなり冷や飯を食らっていたので、これに反発したか新たなアルバム「Ahoh Ye Nànà」をパネッラがプロデューサーで制作、これが遺作となります。
88697-05900・2 (2007年 RCA – Sony BMG Music Entertainment ) CD Ahoh Ye Nànà [8 86970 59002 0] 1.Oggi Non È Domani 2.Basta Il Pane 3.Lavorare No 4.Tramonto 5.Estrella Misteriosa 6.La Spina 7.Pierina 8.Bagnino 9.La Vita È Un'altra 10.Banalità 11.La Canzone Su Di Me 88697-05900・2 88697-11056・2 88697-11056・2 (2007年 RCA – Sony BMG Music Entertainment ) CD Oggi Non È Domani [Promo] [88697 11056 2 9]
4年後の11年8月18日、麻薬法違反の容疑で逮捕されてしまいます。そして以前から患っていた心臓病が悪化し、集中治療を数ヶ月受けましたが17年2月21日、65才で亡くなりました。
エンツォ・カレッラの国内盤はありません、エンツォ・カレッラは以上です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.12.20 08:40:06
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