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カテゴリ:思い出
コホン。今日は、ちょっと、ためになる話を。 私は中学に入って電車通学を始めたその日から、大学2年まで 電車に乗ると、ほぼ毎日、チカンに遭っていました。 「今日は珍しく遭わなかった・・」とホッとして電車を降りれば ホームを歩いている途中で、タッチ!(呆然) 母親と一緒に乗っていても、さわられる・・。 当時は、背も小さかったし 胸もなかったし、お尻もなかったし(→今はおなかも背中もいっぱいありますが) さわって楽しいだろうと思える要素はぜんぜんなかったので 不思議でした。 幸か不幸か、当時はものすごくボーッとした性格で (↑今は、すごくしっかりしている!ゴミ出しは間に合わないけど・・) 電車に乗ってチカンに遭うまで、自分がチカンに遭いやすいことをよく忘れていたので 電車通学がいやになることはありませんでしたが チカンはいやだったなー・・・。 高校に上がっても、電車通学なので、チカンに遭い続け・・・ その頃、専業主婦だった母親がいきなり、会員制クラブの経営を始めました。 なぜクラブなのか、よくわからなかったのですが 母親の枕元に、クラブを舞台にした小説がたくさん並んでいたので、そのせいかも。 大学2年になる頃、母親の事業にお金がかかるようになり 私は自活することにしました。 授業料に家賃に生活費・・月20万円は稼がないと。 ということで、時給2500円以上のバイトをしようと決めたはいいけれど さて、何をしよう。 アルバイト情報誌を見たら 「時給3000~5000円」のファッションヘルスという仕事が!(驚) 早速、電話。 「あのね、マンションでする仕事なんだよね」 「マンションで?」 「そう、マンションでする仕事」 「マンションで・・・」 「マンションで男性にサービスする仕事」 「サービス・・・?」 「・・・・」 「・・・あっ!(やっと気づく)・・・じゃ、いいです、すみませんでした」 「はいはい」 次は、「時給2500~3000円」の銀座のなんとかコンパニオンに電話。 「応募したいのですが」 「失礼ですが、おキレイですか?」 「えっ・・・・・・・・いえ、あまりキレイじゃないです」 「・・そうですか。まあ、でも、一度来てみてください。場所は・・」 気が引けて、行くのはやめる。 続いて、「時給2500円」の立川のなんとかコンパニオンに電話。 「応募したいのですが」 「今すぐ来てください」 行ったら、大きなキャバレーでした。 ふりふりのドレスを貸してもらい、その日から働き始め、母親に電話で報告したところ 「心配だから店を見に行く」と言って聞きません。 店長は「いいよ。うちは変な店じゃないから」と見学を快諾。 早速、上京し、店に来た母親は 「ここ、キャバレーじゃないの!ダメよ!クラブじゃなきゃ!」。 しかたなく、即、退職。(店長ごめんね) 母親と一緒に、アパートの大家さん(ちょい悪オヤジ系)に会いに行き おすすめの会員制クラブを聞き出し(大家さん、ちょっと困ってた)、面接。 やっと働き始めました。 その他、家庭教師を3件かけもちし、合間にパーティーコンパニオンも入れたので なんだかものすごく忙しい大学生活でした。 ええと、何の話かわからなくなってしまいましたが・・・ そう、クラブに入ったら、男の人たちと話をしなくてはならなくなり(当たり前) 私は当時、知らない男性とはうまくしゃべれなかったので、もう大変。 さらに、店で見る男性たちの姿に 「男の人って、お金と女性のことしか考えてないんだ・・・」 と、がっかり。(←これについては、そのうち、「そうでもない」とわかりました^^) そんなとき、中央線で、またいつものように、お尻に誰かがタッチ。けっこうしつこい。 いつもなら、「どうしようどうしよう」と思いながらも、ガマンするのですが ちょうど、捨て鉢な気分になっていた私は 相手の手首をぎゅっとつかむと、耳元で 「公安室に行きましょうか」 とささやきました。 マジメでおとなしそうな、小柄の中年男性でした。 おどおどしながら「いえ、すみませんでした」と謝り、次の駅で降りていきました。 その翌日から、電車に乗っても、ぴたりとチカンに遭わなくなりました。 あんなに毎日、遭っていたのに。 その後、二十数年、一度もなし。 電車のチカンにお困りの方、一度、手首をつかんで、ささやくといいですよ^^。 もっとも、それができないから、困ってるんだけどね^^;。 というわけで、「もうチカンに遭わないや、私は」と安心しきっていたら 42歳で遭うことになるのですが、その話はまた今度。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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