There is no can or cannot, there is only do or donot.
明日、「いい遺産の日」というすばらしいイベントが企画されております。くわしくは、コチラとか、コチラです。その中で、ニューズレターコンクールというのがありまして、で、私はニュースレターを作る余裕はなさそうだと思ったのですが、マコ先生作成のマニュアルがほしかったので、エントリーだけしてみました。で、読んでみると、過去のニュースレターでもよさそうなので、せっかくなので応募してみようと思います。とはいっても私のニュースレターは、3年前に3号まで出したというささやかなものなんですが。で、そのころの事を思い出してみました。 ・ ・ ・4年前、下のチビくんは生まれつき病弱で、入退院や救急での病院通いを繰り返していました。今思うと、ほんとオロオロしていた情けない母親でした。同じ時期、遠い実家では、私を母代わりに育ててくれた最愛の祖母が末期がん。そばにいてテルミーでも手当でもなんでもいいから、できることはすべてしてあげたかった祖母に、何もしてあげられない日々に悶えていた私だった。そんな年の、9月11日。ニューヨークでのテロ。そして、10月23日。その日も高熱だった息子を決心してパートナーに託し、新幹線を乗り継いで飛んでいっても間に合わないくらいあまりにも突然、祖母は逝ってしまった。せめて、最後の瞬間くらいは、手を握っていてあげたかった。私の中でいろんな大事なものが、ことごとく崩れ落ちていった時期だった。そんなとき、たまたま神戸でjojoが始めた「Peace of Cake」と出会った。米軍によって繰り返されるアフガニスタン空爆。ただでさえ干ばつによる飢餓の上に、氷点下20度の冬を迎えようとする人々の上に訳の分からない爆弾が落とされること、それを日本も支持していることが、今さらとは言っても、つらくて仕方なかった私に、There is no can or cannot, there is only do or donot.というjojoのメッセージは、私の心の底に、まっすぐに落ちてきたのだった。 Peace of Cakeは、"一切れのケーキを食べるぐらいカンタンなこと!"という英語のイディオム"a piece of cake!"からきているネーミング。ちょうど発音も同じなのだ。 そう。「募金することくらい、たいしたことじゃないヨ。」という意味です。「募金活動なんて、偽善だ。」「ありきたりの慈善活動」「そんなことしても社会の構造はなにも変わらない」いろんな声があるし、私の中にも大きく大きくあった。でも、そんなこと言ってても仕方ない。テレビの前でいろいろヤジを飛ばして、仲間内で評論してるだけでも、変わらない。1人でため息ついてても、変わらない。やるか、やらないかの方が、ずっと大きい。で、そういうことも含めて、いろんな人が気軽に「話題にできる」「行動できる」ようにすることが、「Peace of Cake」の潜在的目標でもあった。実際、jojoのイラストのとぼけたケーキキャラクターで募金箱を作り、カフェに置いてもらえるように回ると、「何かしたくて仕方なかったんです。ありがとう~」と喜んでくださるお店が多かった。「Peace of Cake」は神戸中心だったので、私は京都を担当して、自分の好きなカフェ(ecoで、おしゃれなところ☆)だけを回った。私はそういう営業みたいな経験はなかったので、最初は足がガタガタ震えたものだ。既存の大きな団体がやってる募金活動じゃなくて、フツウの女の子たちがカフェで友だちどおしで話してる中で始まったことで、カフェに集まる人たちが、落ち込んでる友だちにケーキをおごるみたいな気持ちで500円をいれて、そこから海の向こうに思いを馳せれるような活動にしたい・・・などなど、「Peace of Cake」の趣旨を説明するのにも、ずいぶん、苦労した。結果、京都では20店以上のカフェに募金箱を置いていただいて、細々とながら、今までに128万円以上のお金をアフガニスタンに送ることができています。(全部で)お金の額もさることながら、Peace of Cakeを通してカフェの方々はじめいろんな人々との出会い。そこでいろんな話題を繰り広げられたことも、私にとってはほんとに財産です。足を震わせながらも、ケーキ箱を持って店長さんたちに話しかけた経験は、その後じぶんで仕事をする上でも度胸の元になっている。新聞やテレビの取材も受ける中で、微妙なところを伝えることの難しさ、自分のいたらなさに愕然としたりしたことも、今思えばいい学びだった。つい数年前のことだけれど、10年前のような気がするくらい、自分でも成長したと思う。(まあ、その後事業を始めたというのがやはり大きいけれど)やるかやらないか、1歩なのか0歩なのかでこんなにも違うというのは、やった人でないとわからないくらい大きな違いなのだと実感してます。ニューズレターは、3年前、そんな中で自然と、いつのまにか書いていたもの。手書きで、絵も字もへたくそだけれど、いくつかのカフェではメニューの中にいつも挟んで、お客さんたちがじっくり読めるようにしてくれていました。大切な思い出デス。そうそう、「いい遺産の日」。吉岡マコさんのこの日記は、秀逸です。