人は、生きているだけで価値がある。
中央競馬の人気ジョッキーである後藤騎手が2月26日亡くなった(40歳)。自殺とみられているが、突然のことで呆然...前週土曜日(21日)に再び落馬したのだが、深刻な事態ではなく、翌日曜京都での騎乗もこなしたとのことだったのでショックを受けた。この件は報道で広く伝えられたことはもちろん、ネットでも多くの悲しみの声が寄せられ、様々な憶測も流れている。もはやその胸中は本人にしかわからないが、ほんとうに残念。彼の道はまだ続いていたはずなのだが...彼は2012年以降、不運にも毎年落馬が続いた。頚椎や頭蓋骨の骨折を繰り返し、特に今回は長いリハビリを経ての復帰だったので、2月21日の落馬は怪我の程度は軽くても、精神的に重かったのかもしれない。あの明るい性格だから、周囲に辛さは見せなかったのかもしれないが、かなりの頭痛や神経痛など深刻な後遺症があったはずで、それを薬で抑えて騎乗を続けていたのではないか。ここからは私の個人的な思いになるが...神の存在を信じる人間ならば、その時どきの現象に神の意思を受け取るものだ。私が後藤騎手の立場だったら、これ(度重なる落馬)は「もう騎手を引退しなさい」との神の意思なのかなと思うだろう。後藤騎手が神を信じていたかどうかわからないが、なんとしても続けるとの騎手生活への強い意思で、精神的にぎりぎりの状態で騎乗に臨んでいたので、今回の再びの落馬に張り詰めていた緊張の糸がプツンと切れてしまったのではないかと推測している。しかし、彼には愛する妻子があるわけで、その点もう少し柔軟に、冷静な自分にもどれなかったかなぁと悔やまれる。まして、彼には騎手を引退しても活躍できる場があったはずで、頑なな気持ちは量りかねる部分もある...人間は誰でも自己実現を夢見る。しかし、叶わない人のほうが圧倒的に多いことだろう。行き詰まったある地点のそこで、その時点で人生をやめるということも、あるいは選択の一つかもしれない。でも、「人は生きているだけで価値がある」のではないだろうか。これは五木寛之さんがエッセイで語っていることの受け売りだが、私は心底同感なのである。人は、生きているだけで価値がある。【楽天ブックスならいつでも送料無料】遊行の門 [ 五木寛之 ]