あれから8年...プーチンはウクライナを侵略した...
“プーチンのロシア”によるウクライナへの侵略戦争が続いている。ウクライナ国民の犠牲、とりわけ増え続ける女性、子どもたちの受難には心痛むばかり...2014年にプーチンがクリミア半島を狡猾に奪取した後、私は某Q&Aサイトに投稿された質問に、回答者の一人としてプーチンによるウクライナ侵攻(の可能性)について書いていた。質問は「プーチンロシアはウクライナと戦争をしますか?」(2014年5月4日付)だった。私の回答は2014年5月5日投稿。以下その全文。--------プーチンは実戦を想定して、ウクライナ東部国境近辺に軍を配備しているようですが、簡単には軍事侵攻できないでしょう。アメリカ・EUとも対峙しているわけですからね。それに、クリミアを武力を背景として強引に奪取したばかりですから、ここですぐにウクライナ本体への軍事介入をすれば世界中を敵にまわすことになり、ナチスドイツのヒトラーと同一視されかねません。世界中から「プーチンはヒトラーの再来」などと叩かれれば、いかにプーチンといえどウクライナ問題どころか、自身の政権維持が危うくなります。そのような状況になれば、ロシア国内でも反プーチンの国民運動が興隆してくると考えられるからです。プーチン独裁下での強力な権力がロシア国民の不平・不満の声を抑えているのですが、国民のすべてがクリミア併合のやり方を支持しているわけはなく、ロシア自体が世界の敵になれば国民は必ず運動を起こすはずです。そもそも、なぜプーチンはクリミアを強引なやり方で奪取したのか?武力で奪取などしなくても、ロシアとウクライナとの経済関係を考えれば、ロシアのクリミアでの権益はそのまま守れたはずです。また、EUへのエネルギー供給や経済取引を考えれば、ウクライナへの影響力もすぐに失うことは考えにくい状況です。その動機について、ウクライナ・クリミアとロシアとのこれまでの歴史や、地政学的な要因などからいろいろと言われていますが、私はアフリカ北部で始まった民衆による「反体制運動(デモ)」の波が本当の理由だと考えています。チュニジアで始まったあの運動はすぐに周辺国の独裁政権へと連鎖し、長く続いた専制体制が次々と倒れました。おそらくその状況を、ロシアや中国など他の専制主義国家の首脳たちは苦々しく見、大きな不安を抱いたはずです。プーチンがクリミアでの軍事工作を行ったのは、キエフで反体制派の示威行為によりヤヌコヴィッチ政権が倒されたすぐ後のことでした。キエフはロシアの古都ともいえる都市で、モスクワに近い位置にあります。ウクライナをロシア連邦の一部と考えているプーチンは、そのキエフでの反体制民衆運動がモスクワへと波及するのを恐れたのだと思います。さて今後ですが、米・EU⇔ロシアの構図がある以上、ウクライナでの本格的な軍事衝突の可能性は低いとみます。プーチンはエネルギー供給などを武器にウクライナ・EUへ経済的圧力をかけていくでしょう。欧米側も対抗制裁を進めていますが、先の状況はロシア側に有利とみます。もしウクライナで対ロシア戦争ということになれば、EUはウクライナから手を引くと考えられるからです。2度の大戦を経験した欧州は、再び大戦争を起こさないようにとEUを結成したのです。ウクライナがその戦場になれば、戦争は欧州西部へと波及する恐れがあります。ロシアからのエネルギー輸入のこともあり、EUが戦争をしてまでウクライナにこだわるとは思えません。アメリカもNATOの協力なしにロシアと戦することはないでしょう。--------ロシアを決して信じるな(新潮新書)【電子書籍】[ 中村逸郎 ]