坊主憎けりゃ袈裟まで憎い~酒井法子事件
酒井法子の事件騒動も彼女の保釈と謝罪会見で一息ついたようだ。わたしはそれほど事件に興味はないが、ひとつ気になったことがある。それはプロダクツのことだ。今回に限ったことではないが、芸能人などが事件を起こすと、その人のプロダクツが市場から引き上げられることがよくある。しかし、酒井法子が事件を起こしたからといって、彼女のそれまでのプロダクツ、つまりCDやDVDそして写真集などが市場から一斉に引き上げられるのはいったいなぜなのか?プロダクツ自体に何の罪があるというのか。譬えは悪いが、もし芸術家の岡本太郎氏(故人)がその生前中に罪を犯して逮捕されていたら、彼のそれまでの作品はすべて否定され、その芸術性は無価値とされただろうか。「坊主憎ければ袈裟まで憎い」ということわざがあるが、その人がひとつの罪を犯すと、その人の全てが否定されるというのは一種のファッショではないだろうか。日本人は昔から「穢れ」というものに特に敏感である。「穢れたもの」は社会から排除されなければならない。穢れた人間も、その人間の持ち物もといった具合に。日本に西洋の「合理性」が根付かないのも道理である。ケガレ