AERAの表紙はムン・ソリだった。
先月公開された『浮気な家族』の感想。
悲劇と喜劇が同時に現れ
どちらかといえば農耕民族の特性を体現しているような守勢の女性たちが、
この映画の中ではまるで狩猟民族のように幸福の獲得をめざす。
獲得の過程での周囲との軋轢は特に重くは描かれていない、演劇のような映画。
主婦ウン・ホジョン(ムン・ソリ)は弁護士の夫チュ・ヨンジャク(ファン・ジョンミン)と
小学生になる養子の息子スインと高級住宅街に暮らしている。
夫には若い愛人がいる。姑は同窓生とデートを楽しんでいる。
ホジョンは一家の良き嫁、母親としての生活を送りながらも、
隣家の高校生との関係を深めて行き...それぞれが家の外に愛情を求めている浮気な家族たち。
ちょっとしたディテールが時代の変化を映し出している。
儒教の国、韓国の女性がこんなふうに変わったのかと実感する。
日本では老いらくの恋の小説もあるくらいだが、この映画では夫ある女性、30代の息子がいる女性が
小学校の同級生とのデートを楽しんでいる。
韓国では養子はあまりとらない、と聞いていたので、
父系主義社会における養子のいる家族という設定にもちょっと驚いた。
わだかまりも気負いもなく息子に接しているホジョンの姿に感心した。
一方あふれんばかりの愛情を両親から受けている子どもも養子ということを知りながら、
ぼくはお母さんのお腹を痛めて生まれたのではないけれど、お母さんの胸を痛めて生まれたんだ、
と同級生に言った、というところにも母子の愛情の深さが感じられた。
スインのけなげな言葉は深く心に残った、スインの運命を考えると。
設定は異なるが、スインが見た高層ビルからの光景が
王女メディアに登場していたような(記憶に間違いなければ)高所からの光景と子どもの運命と重なった。
キャリアウーマンでもない普通の主婦のホジョンだが、
ドラマによくあるような湿った母性を備えているのではなく
カラッとした母性を深め、新しい命をはぐくみ、自分の家族を再構築しようとする意志が貫徹されている。
ヒロインはそんなふうに最初から最後まで母性が強かった。
映画の終わりで彼女が夫に「アウトだ」と言うのが興味深い。
いろいろな意味で彼はアウトだったのだろう。彼は家族を守れなかった、彼は家族(子ども)を作れなかった...
心が変わるとは言うけれど、体も変わるというのかしら...というホジョンの言葉。
心が変わるから体も変わるということに彼女は無意識に気がついているのだろうと思った。
言外の意を探れば、このころから夫は「アウト」だったのかもしれない。
監督のイム・サンスによるとホジョンとヨンジャクはいわゆる386世代。
386世代とは現在30歳代で80年代に大学に通った60年代生まれを指す。
日本で言う団塊ジュニアより一回りくらい上の世代になる。
韓国経済における386世代の活躍ぶりは、アジア通貨危機以降よく耳にしたが、
映画では人生に幸福を求める386世代の姿が等身大に描かれている。
イプセンの戯曲『人形の家』のように家の外に出て行く女性の像でもあるが
悲壮感はなく、映画は韓国社会の選択肢の幅の広がりを感じさせ、
新しい価値観を提示しているようだ。
ディテールはリアルだが、映画全体としては戯曲のような舞台のような限定された世界の中での
一部を奔放に描写して問題提起を孕ませている印象を受けた。
女性が獲得したいものと獲得したもの、男性が喪失したものを対比して、現代女性の新しい価値観を提示している。
ムン・ソリは
映画『オアシス』の時とだいぶ違った役柄だった。
to be continued...!?
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