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ふわふわ卵

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2013年03月11日
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カテゴリ:その日の出来事
2年前のあの日、あの時間、私は教室にいました。

教室で生徒さんを待ち、アメリカ人の先生とおしゃべりを・・・。
その時、教室が揺れ始め、でも、地震などよくあること、すぐ収まるよ、なんて、日本人の先生と笑っていたら。

いっこうに収まらない揺れ。今回はいつもと違う、と、あわてて、階段を使い外へ出ました。
他のテナントの方たちも、続々、外へ。異常に揺れる電線。

階段を下りながら、誰かが携帯でニュースを見ている。「震源地は宮崎だって。」え?!あんな遠くの地震がここまでか。だとすると、義父や義姉たちのいる鹿児島は、どんな状態になっているのだろう。

それが、宮城の間違いだとわかったのはだいぶあとのこと。

生徒さんも一人欠席されただけで、無事、修了式を終わる。

電車が動いていない。久しぶりにテレカを使い、公衆電話から家に電話。

ダンナと息子に迎えにきてもらう。

途中、店により買い物。煌々と、まだ、電気もついていたのに、我が家のエリアは真っ暗。

ありあわせの夕食をとり、ダンナと息子は、娘の職場へ迎えに行く。

ろうそくの光の中、母とクー(そのときは元気だったね)の3人でじっと待つ。

深夜、娘の同僚を遠方に送り届けてダンナと息子が帰宅。
復興しない電気。

深夜、もどった電気で、惨状を知り唖然とする。息子が、駅前の高層マンションが倒れるかと思うくらい揺れていたと言う。

この間、東北では、どんな状況がくりひろげられていたのか、その後の情報で、想像をするが、その想像が、だんだん悲惨なものになっていく。でも、それが現実だったんだ。

第二次世界大戦から、半世紀以上、記憶がだんだん風化している。
3.11の記憶も風化していくのだろうか、いや、そうしてはならない。

孫たちにも、語りついていかなければね。それが、私にできる小さなことの一つ。





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最終更新日  2013年03月11日 19時34分30秒
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