時の女神☆心を縛る身体
何かしてる最中に、ふと別の事が思い浮かぶ。それはヒラメキや気づきだったり、(あ、洗濯物干さなくちゃ)とかだったり、または、突然割り込んでくる身体感覚(フェルトセンス)、たまたま流れていたBGMの歌詞がニュ~と耳に残る体験だったりする。 噴水・虹・ノイズ ええい、ノイズ(雑念)め、と捨ておけばいい。のだが、ささいな‘感じ’の内に価値あるものが虹のごとく浮かんでいると思ひ出すと、関心を払わずにはいられない。立ち止まる、振り返る・・。そうこうして時が過ぎる。^^今やっている事は、はかどらない。やる事に優先順位つけないと、アブハチとらずだ。 実の所、ヒトの頭の中では、同時に複数事象が進行できる。脳はそういうものなのさ。ところが、与えられた身体は1つ。手足は2本ずつ。指は10本揃うも、鼻口も一つずつだ。どんなに逆立ちしても、洗濯物干しとゴミ出しは同時にできない。脳のキャパ(能力)に比べ、実働部隊の人手は圧倒的に足りない・・のだ !てなわけで、 年がら年中人手不足に悩んでいる我らが脳ミソは、さまざまな思いや考えをノイズとして黙って切り捨てることになる。 足8本のタコを想えば、4足で満足しているヒトなど慎ましいものさ。…と、英式ユーモア?でも かましておこう。チーン いや、、今日は、もそっとおもむこう。ままに。。。(お時間ある方はよかったら、お付き合いくださいませ) かくの如しで、ユーモアってのは自己受容のための上等なツールの一つだ。ただし、(他者受容もアリです)受容はスタート地点だ。ここでやめてると怠惰顏のマンネリが訪れる。身体を錆びつかせ、心を更に窮屈に縛る。本当は別の谷を渡ったり、山を越えたり、野原を渡ったりしたいんだ。ごく自然な冒険心(成長心)さ。無視して打ちやっとくと、真実の自己がブーイングを鳴らす。サインは心身の不具合だったり、妙な言動だったり、、不可解なものが多い。時には他人を巻き込んでエライ迷惑かけたりもする。だから、問いかける。ノイズとして切り捨てた中に、拾い直すものがないか否かを。ニッチもサッチもいかなくなったら無意識と相談する必要がある・・・って、こういうことだ。とりあえず、切り捨ててある・・でも本当は大切、光の種子が眠っている・・日の目を見たいと待っている・・ だんだんわかってくるはずだ。 最初の話に戻そう。「身体は心の自由を限界づけている」人は皆、このルールをゆっくり学び、受け入れる。手足をなめる赤ちゃんは自分の境界を確かめている。 ☆ミ*゜.・・生後6か月・・゜☆*゜. 自分の限界を知るためだ。 ・゜☆*゜.・・さかんに足をさわって確かめる生後4か月の赤ちゃん・・・゜☆*゜. 母の胎内で自由な夢を見てた生まれたての ぽわぽわ意識が、どこから どこまでが自分なの?って、ちゃんと知ろうとする。限界があることで世界の中の自己を同定できるのだ。 ...*.・゜☆*゜.*...・・やんちゃ盛り・生後8カ月・・ そうこうして気づく。時間(とき)の女神のささやき声に。女神は言う。(( 何のために、ときがあるの ? )) ・・・影絵(ゆきすぎる)・・・ そうさ、限界に挑戦するためさ。身体が一つしかないという・・・もしくは、限界という必要条件と折り合うためさ。・・・ change ・・ changable ・・ changablity ・・・変化無常 変容できる 変容する力流れる時間は、だれに対しても平等で公平だ。これがルール。 右を向く。または来たるべきものの方を向く。 空間の3Dに、もう1つディメンション(次元)を加えた4D時空間が、ワレワレが生きる世界なんだ。 にほんブログ村ポチよろしく-限界に挑む手ががりは、時以外にもあるのでしょうね・・