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田舎の雑木林で楽しむ!

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October 18, 2007
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カテゴリ:ヨーロッパ旅行

ベルリン、コンツエルトハウスの広場

コンツエルトハウスの正面

  写真の左の建物が、ベルリンのコンツエルトハウス。右の建物は教会ですが、修復の最中で見えません。歴史のある教会なのでしょうね。
  右の写真がコンツエルトハウスの正面です。これまた大きな立派な建物です。ロンドンでの失敗を教訓に、コンサートのある日は事前に場所を確認することにしています。ここで、この日と翌日にコンサートがありました。Philharmonie Berlinの演奏。ムソグルスキーの『展覧会の絵』と、Mari Kodamaという日本人女性によるピアノ・コンチェルト。指揮は、Roman Hofmanさん。「展覧会の絵」は、実に華やかなオーケストレーションを楽しみました。打楽器がすごい迫力ですね。ピアノコンチェルトは、ベートーベンの第1番。見事な演奏でした。この日も、素晴らしい音楽を堪能しました。

演奏会の風景

  翌日は、Berlin Sinfonie Orchestra によるMax Bruch作曲のオーケストラと声楽・合唱の曲。 あまり知られた作曲家ではないのですが、長大な曲で、人間の声の美しさに感動しました。


  会場の中は、古典的な美しい音楽ホールで、会場は満席でした。ヨーロッパでしばしば出会ったのが、野外での楽隊の演奏です。その日は、ブラスバンドが讃美歌の演奏をしていました。

ブラスバンドの演奏

観光船

  右の写真は、新しい連邦議会(左端)の前を流れるSpree川、そこを下る満員の観光船です。ここはその昔、ベルリンの壁が走っていたところです。
  ボクは、30年ほど前にベルリンに行ったことがあるのですが、当時はここに壁がありました。50mくらいの巾の何も無いところに、高さ6mくらいの大きな壁があって、50mくらいの間隔で監視塔が立っていて、銃を構えた東独の兵士がにらみをきかせていました。当時、数歳の男の子がボールを追いかけて中に入った途端、兵士に銃撃されて殺されたという事件もありました。壁には、壁を乗り越えるときに殺された人への花束が飾られていたことを、リアルの思い出します。1991年、ドイツ革命で、壁はすべて取り壊され、東西ドイツが統一されて、このように近代的なビルが建つようになったのです。歴史の記憶が生々しいところです。

ドイツ連邦議会の建物

ブランデンブルグ門

 

 

 

  右上が西ドイツ時代の連邦議会です。建物の上に連邦の旗がなびいていますね。左は、ブランデンブルグ門。ここはかつては、東独に入っていました。この門の前に「壁」が走っていたのです。ボクがベルリンに行った当時は、この門をくぐることはできなかったのですが、今はたくさんの観光客が門をくぐっています。

戦争パネルを置く

  この門をくぐったところで、戦争末期に爆撃で破壊された当時の写真が、大きく拡大されて展示されていました。まさに、門を取り巻く当時の建物の破壊ぶりがリアルに表現されていました。凄まじい爆撃だったのですね。ドイツ人にとっては、それを記憶にとどめている方が多いのでしょうね。たくさんの方々が立ち止まってみていました。

ウンターデンリンデン通り

  ブランデンブルグ門を通り抜けて、旧東独側に入ると、大きな並木の道が続きます。ウンターデンリンデン通りと言います。訳せば、菩提樹の道。菩提樹の並木がとても美しかったです。何しろ道が広いのと、中央が歩道の並木です。道の両側には、たくさんのお土産やさんが並んでいて、偶然見つけた日本人の経営するお店に入って買い物をしました。

 






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Last updated  October 18, 2007 10:10:48 AM
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