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カテゴリ:家族のこと
テレビから、「認知症の疑いがある人の、免許証更新をどうするか」という話題が耳に入ってきました。
父が亡くなったのは11月13日でしたが、誕生日は12月23日。 もうじき更新という時期でした。 「返納しちゃってもいいんだけど、お母さんが、お店(美容室)に行く足がなぁ・・・」 もうベッドに寝たきりで、鼻から管で胃の中の液を吸い出している状態で、 運転なんて無理なのに、 母のことを、ずっと気にかけていました。 母は、父の言葉の足りなさが不満で「思いやりがない」などと良く言っていたけれど、そんな人じゃなかった。 やさしい人だったよ。 エッセイ入門講座の課題に使えないかと思って、 父がこの世をさって1年目に書いたブログを手直ししてみました。 でも、これは、やはり提出しないだろうな。 「父を偲ぶ」 父が永眠してちょうど1年。 夜中の一時前から、パソコンの前に陣取り、 昨年自分で書いた日記を読みふけった。死亡時 刻(午前二時五〇分)にも、パソコンの画面を 見つめていた。私なりの供養の仕方でもあった。 父が亡くなったことは悲しい、さびしい、そ して残念である。 本人も無念であったろうと思う。 「先に逝った友だちが迎えに来ても、まだ逝 けないよ、と言うから」と、意識がある間は言 ってた父。翌月の免許証更新を気にかけていた。 一方で、父は、私のような根に持つタイプで はなさそうだから(推測ではあるが) 迎えに来た誰かが 「これで、この世とはさよならだよ」と言っ たなら、 「もう断れないんだな。じゃあ、仕方ない。 よろしく頼む」 なんて、あっさり付いていったのかもしれな いとも思う。 確実なのは、死によって苦痛から開放された ということ。 もっと早く病気に気づいていたら。 開腹手術など、させなければ、体力がもう少 しもったかもしれない。後悔することは、たく さんあって、取り返しがつかない。 しなければ良かった後悔。 しておけばよかった後悔。 よく言われるのは、後者のほうが根が深い、 ということ。でも、本当にそうかな? 私が、二人目の不妊治療をしたのは、 「あのとき、がんばれば、兄弟が授かったかも しれない」、という後悔をしたくなかったから。 息子の治療に保険のきかない高い薬を使っ たのは、「あの時、薬を使っておけば良かった」、 という後悔をしたくなかったから。 父の開腹手術は、必要だったのだろうか。手 の施しようがなく、苦痛を与えただけだった。 抗がん剤治療は、必要だったのだろうか。食 欲が落ち、やせ衰えた。 命を縮めた原因ではなかったか。 素人がわかることではない。専門家の間でも、 意見が分かれること。 病気は嫌だ。がんなんて、この世から無くな ればいい。 がん細胞を死滅させるために、正常な細胞に までダメージを与える治療ではなく、直接、悪 い細胞のみに働きかける治療が一般化して欲し いと願う。 難病と呼ばれる病気はたくさんある。 治療法が無いとされる病気も。 そのすべてが解明され、治療が可能になる日 は、きっと来る。 ジュール・ベルヌが言ってる。 「人間の想像できることで、実現できないもの は無い。」と。 たとえ、何年かかろうとも、病気がすべて治 る世界の実現。 不妊症がなくなる日も来るだろうか。 20~30年後でもいい。息子のような精子 が作れない体でも、子供を作れる技術が一般化 していて欲しい。そうしたら、もう少し生きて いよう、という気力がわいてくる。孫の顔、見 たいもの。無責任に、可愛がってみたい。 実家に線香をあげにいって、一つだけ良いニ ュースがあった。弟のところで働いている男性 が、結婚するのだそうだ。父も、きっと喜んで いると思う。 結婚=子供の誕生でないことは、私自身が良 く知っているが、でも、そう遠くない未来、彼 らに子供が授かり、顔を見せてくれたらうれし いな。 逝く命あり、生まれる命あり、こうして、人 間の歴史は続いていくのだから。 2009年11月13日 オリジナル記入 2010年6月6日 加筆訂正 提出用は、縦書きなので、漢数字を使用しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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