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マムの素 * 青カバ・ウィリアムはかく語る

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創話

2006.12.17
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カテゴリ:創話
         ーソウル市民 昭和望郷編 を 観てー 前回1

              □アリラン 2 □

            アリラン アリラン アラリヨ
            アリラン  峠を越えて行く
            私を捨てて 去く人は
            十里もいかずに 足が痛む
            アリラン コーゲルル ノモカンダ

 女中のゆりちゃんのわたくしたちへの奉公ぶりを例えるならば・・・・・・。
 
 竹槍を振りまわす・・・もし、わたくしや母が盗賊に襲われたならば、他の女中さんは蜘蛛の子を散らしたように逃げるでしょうが、ゆりちゃんは飛び道具ではなく竹槍をむんずと掴んで「若奥さーん、美登利ちゃん、はよ逃げなっせい」と賊めがけて走りだすでしょう。そしてみずから振りまわした竹槍にからまってこけてしまう。
 平たい体で仁王立ちするゆりちゃんには竹槍がなんだか似合います。勿論、こけたゆりちゃんを見捨てたりはしません。若奥さんと呼ばれた母が火事場の馬鹿力をだすに決まっています。

 ゆりちゃんはわたくしの家の女中部屋に住み込んでいたのですが、わたくしが大学に行く頃にはアパート住まいに変わっていました。ここには詳しく記しませんが、アパート住まいをはじめた直後、ゆりちゃんにはとても痛ましい不幸が訪れたのでした。
 が、やはり頭がゆるいせいでしょうか、それとも心配かけまいとしたのでしょうか、噂をきいて問いただす母にゆりちゃんは目を瞬かせながらケロリとした一本調子で「うん、丸まって死んどらした」と答えたのでした。

 わたくしの実家はときと共に少しづつ傾いていきました。それはまるで子供の頃よく遊んだ、砂で山をつくりその頂上にさした棒を倒す遊びに似ています。静かに確実に土台が削られていきました。女中さんや下働きさんはどこへも行くあてのないおばあさんたちばかりになりました。
 ときのうつろいのなかわたくしにも子供ができました。ゆりちゃんはわたくしが子供だったときと同じように小さな娘に「サキちゃん、ゴミ捨て場からひろうてきたとばってん、こりゃあ食べられる。食べんしゃい」と、偉そうな口調でいいながら、拾ったというお菓子を目に刺さらんばかりにまっすぐにつきだすのでした。そうやって歩くたびにピーピー音のなるサンダルやドラえもんのお人形をくれるのでした。
 そんなとき、やはり古くからいてくれている下働きさんなどは鼻に皺をよせて「バカタレやが」と露骨に言うのでした。が、わたくしはちっともかまいませんでした。まっ、お菓子などはわたくしが子供の時にしたようにゴミ箱に捨てるのですが、わたくしも成長し投げ捨てるようなことはしませんでした。

 これは母からきいたことですが・・・優等な成績で師範学校をでた軍国少女、そして文学少女だった母らしい話です・・・。母がわたくしに言ったとおりにお伝えしましょう。
 「ゆりちゃんはあんなふうやけれど、亡くなったご主人は海軍将校さんなのよ。すごいことなのよ。それにね、ゆりちゃんは中央公論ば読みよんしゃあとよ」。
 わたくしは吹き出してしまいました。母は同じ公論でも格下の‘婦人公論’の読者でした。

 さて、どう話をすすめてよいのやら。わたくしたち家族はゆりちゃんのお葬式はうちでだす。そう思っていたことは先の項でお伝えしたとおりです。さき細ってしまった家ですが、それくらいのことはまだやれる力はありました。

 ゆりちゃんはわたくしたちには本当に善い人でした。まっすぐで裏表のない人でした。が、アパートの近隣の人々には奇異な存在に少しづつ膨らんでいったようです。
  もし、アパートの前で子供が大声で遊んでいたらゆりちゃんは「うるさい」と一喝するでしょう。
  子供達は一斉に逃げ出し、「ばか」、「クルクルパー」などの言葉を投げかけるでしょう。
  きっとゆりちゃんはおいかける。
  誰かが転ぶ。
  膝小僧をすりむく。
  親に言いつける。
  暴力をふるったということになる。

 そしてゆりちゃんは粗暴な隣人ということになっていくのです。レッテルが貼られてしまえば子供達の行動はなにをしても正義です。ガラス窓に小石を投げても、怒鳴るゆりちゃんの負けです。母の知らないところでゆりちゃんは危険人物と評され、またなっていってしまったのです。
 
 「頭のおかしいのが一人ですんどう」、これほど近隣の人々に迷惑なことはありません。ゆりちゃんの所業は民生委員さんに訴えられてしまったのでした。ゆりちゃんには身寄りがないと思っていましたのに、あるとき、民生委員さんと共に他県にすんでいるというゆりちゃんの親戚が母の前にあらわれたのでした。
 そのときの話は、ゆりちゃんを親戚がひきとり一緒に暮らすということでした。それも明日、アパートをひきはらうという急な話でしたがよくよくかんがえれば、ゆりちゃんのためには一番いいことです。
 母はゆりちゃんより「盗まれたらいかんけん若奥さん預かっといて」といって託されていた何重にも新聞紙でくるまれたお札の束を彼等に渡したのでした。
 翌日とはまた急な話です。明けて母は別れを惜しみにゆりちゃんのアパートへいきました。が、そこにゆりちゃんの姿はもうありませんでした。昨日、母に会った直後、彼等のしたことは、

 いやがるゆりちゃんを無理矢理精神病院に入院させたのでした。その病院はわたくしたちの町の南に位置する大鷹山の麓にありました。車でいけば20分たらずのすぐそこにありました。

 驚いた母はその病院にすぐさま行きました。が、いくら身分を名のっても身内の承諾印がなくては面会はさせてもらえないのでした。ゆりちゃんがその病院にいれられてから面会をしてくれた身内がいるはずはありません。他人の母がゆりちゃんを退院させることもできません。すぐそこに入れられているというのに。

 連れていかれるとき「若奥さーん、若奥さーんたすけて」と大声をはりあげて叫び続けたという話以外は以来、ゆりちゃんの話を得るこはありませんでした。ゆりちゃんとのことはここで途絶えてしまいました。
 わたくしはその頃、東京に住んでおり、母から何度も何度も悔やみの電話をもらいました。母は預かっていたお金さえ渡さなければあのように急にことは動かなかったといっては歯噛みします。肝心なときに助けてあげなかったと嗚咽してはわれを叱ります。
 なにをどう嘆こうとゆりちゃんはわたしたちの思いの中だけの人になってしまいました。

 ゆりちゃんはよくわたくしに言っていました。
 「美登利ちゃん 泣いたらつまらん 泣いてもなあもはじまらん」と。

                   *

 2006年12月11日、わたくしは友人にさそわれて‘ソウル 昭和望郷編’の芝居を眺めておりました。それはとても懐かしい、わがやの風景に酷似していました。とくにわたしの目は、朝鮮人女中の文子をとらえてはなしませんでした。
 舞台からアリランの調べが流れてきました。

 アリランにのって文子の手が優しく宙を舞います。

 不思議な感情がわきだして、一挙手一投足見逃すまいと瞬きも惜しむわたくしの顔がほろびました。文子にゆりこさんが重なっていきます。
 そういうことなんだ。ああ、そうなんだとわたくしはひとりごちました。ゆりちゃんはちゃあんとここにおったっちゃねえ。ここで生きとったちゃね。アリラン歌いながらよう外ば掃きよったねえ。もうあんたのことを思い出して悲しまんよ。泣かんよ、泣いてもなあもはじまらんもんね。  


            アリラン アリラン アラリヨ
            アリラン  峠を越えて行く
            私を捨てて 去く人は
            十里もいかずに 足が痛む
            アリラン コーゲルル ノモカンダ


                  終    

                勿論、平田オリザ作の昭和望郷編からヒントをえた創り話です。

 






Last updated  2006.12.17 18:06:21
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2006.12.14
カテゴリ:創話
ーソウル市民 昭和望郷編 を 観てー

□アリラン 1 □

        アリラン アリラン アラリヨ
        アリラン  峠を越えて行く
        私を捨てて 去く人は
        十里もいかずに 足が痛む
        アリラン コーゲルル ノモカンダ

 ゆりちゃんが女中としてわたくしの家にやってきたのはいつのころか記憶にはありません。ものごころついたときにはもう居た、といういいかたが不正確なようですが確かといえます。そのころはまだ国道を荷馬車が通っており粗末なコールタールの道の所々に馬糞が落ちていました。

 ゆりちゃんは色白で薄っぺらい体にひっつめお団子に髪を結っていつも直立仁王立ちのひとでした。仁王立ちといっても偏平な体には迫力がなく、あるのはなんとはなしに悲しく切ない、そして誰もがからかいそうなおかしな空気でした。
 ゆりちゃんのことをみんなは手のひらひとつで表現しました。人差し指を頭にもっていくと即座にジャンケンのパーをするのです。

 「ゆりちゃんなあ、ちっとこれやけん」。

 そういわれつづけたゆりちゃんはわたくしの家に何年いても下女中さんとして、便所掃除や汚物処理に玄関番ばかりさせられていました。が、ゆりちゃんはどんな仕事もいやがらず陰日向なく働いてくれました。わたくしも、母もそんなゆりちゃんが好きでした。

 たしかにゆりちゃんの頭はゆるいところがあり「美登利ちゃん、ゴミ捨て場にあったとばってんきれいかけん食べんしゃい」としわくちゃのビニール入ったお菓子ををくれたり着物の胸元からペッチャンコになった饅頭をだして「とっといてやったとよ」と仁王立ちして手をまっすぐに突き刺すようにして差し出してくるのでした。
 わたくしはゆりちゃんが好きでしたが、もらったものはひとりになるとゴミ箱の投げ捨てるのが常でした。

 ゆりちゃんは庭の掃き掃除をする時や、廊下を拭きあげる時には必ずきれいなソプラノで歌を歌うのでした。その旋律は子供心にも物悲しいものでした。

 わたくしが東京の大学に入り帰省するとそのたびにゆりちゃんは「よお、帰ってきた。ゆっくりしていきんしゃい」とどちらが家のものかわからないような偉そうな口ぶりで言うのでした。
 時代の流れがかわり栄えていた私の生家もゆっくりと朽ちていくのですが、ひとりふたりと女中さんがいなくなる中、ゆりちゃんはその流れをかわすように家にいるのでした。そういえばこの頃は女中さんといわず仲居さんとよぶことのほうが多くなりました。

 わたくしも母もゆりちゃんのお葬式はうちで出す・・・そういうつもりでした。

                                      つづく

 






Last updated  2006.12.14 23:46:34
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2006.12.03
カテゴリ:創話
                                イラスト sam-deco
 □未確認飛行物体□

 東京オリンピックが終わり、ぽつりぽつりとカラーテレビが見られるようになった頃のお話です。

 わたくしの父は多趣味な人でした。おいおいその趣味についてもお話することになると思いますが、ここでは一つだけ披露しましょう。
 それは魚釣りでした。なにをやっても器用で天才的な勘の持ち主の父は、漁師も一目おくような有名な釣師でした。釣竿やウキなどは釣具屋が買いつけにくるほどの優れた、そしてきれいなもの自ら作りました。
家の裏の空き地というのも恥かしい狭い場所に魚釣のエサとなるエビの生簀まで作っていました。
それは二段になっており井戸水が一日中流れる、小さいけれど本格的なものでした。

 その生簀のエビはどうしたか? なんと父は夜な夜な山奥の貯水池に長い柄のついた大きな網をもって出かけたのでした。当時、-いいえ、きっと今もあると思うのですが- 貯水池の生き物は獲ってはいけないという決まりがあり、父は知り合いの貯水池の門番さんの許可をうけ夜陰にじょうじてエビ獲りをおこなっていたのです。
 まだ小さかったわたくしや妹はこのエビ獲りの共をいつも命じられていました。こども心にこのエビ獲りは恐ろしいものでした。父でさえ怖くて仕方なかったのです。山へ通じる一本道はわたくしたちが乗った、ただ一台の車しかとおりません。たまに見える遠く黄なびた家明かりは、かえって狐火のようで心細くて早く家に帰りたいと願ったものです。

 山の奥、中腹の貯め池はそれはそれは静かで、月の光に水面がキラキラと輝き、それがかえって不気味でした。わたくしの耳には無音の中の音がさかんに囁きかけてきます。黒い木々や叢になにものかが隠れていそうで、振り向くと、それらがさっと翳にひそむようで、そうでなければわたくしがつりこまれていくようで、耳も目も閉じているほうがどんなに気がやすらぐかと思うのでした。

 ある夜のことです。
いつものように真っ暗な山道を貯水池に向い車をとばしていました。空気が澄んでどこまでも同じ黒が続いていました。
 わたしは頭を大きくそらしフロントガラスをとおして空を見上げていました。それは本の数秒のことです。見上げたそこにラグビーボールのような形の物が浮いていたのです。それは青白い光につつまれていました。それはとても神々しく、そして畏しいものに見えました。
 わたくしは口を開くこともできずその「物」を見ていました。それはまるで「ちゃんと見ましたね。ずっと覚えているのですよ」とわたくしにいい終えるようにして、ゆっくりと動きだして山の向こうに消えていったのです。

 たったこれだけのことです。が、わたくしはちゃんと見、忘れることなくちゃんと覚えています。sam-decoさんのイラストはわたくしがバカだったあの頃を思いおこさせてくれました。

                   終

                           創作であることを明記しておきます






Last updated  2006.12.03 19:36:13
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