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カテゴリ:日常
相方、私、娘達とで父の米寿のお祝いをしようということになった。 数日前の水曜まで父は私達の家に滞在していた。 母が入院していたからだ。 母は大腸ガンの末期。 ガン細胞は体中に散らばり、無事なのは脳だけだと医者に言われた。 去年は「あと半年」と言われていた。 今年に入ってから、大腸に癒着があり人工肛門にし、その手術以降痴呆の症状も現れ、春には「あと2ヶ月」と言われた。 抗がん治療のための入院や人工肛門以降の入院の度に、父は私達の家に泊まりに来ていた。 いつもは老夫婦二人だけの生活だが、それでも二人揃っていればまだ安心。 母の不在中、父一人では私も心配だから、こっちに来てくれたほうがいい…わかるでしょ? 水曜に送って行ったばかりの父ところにみんなで押しかけ、連れ出す…米寿のお祝いだ。 父の米寿のお祝いに母もいてくれてよかった。 「あと2ヶ月」と言われてから、それじゃあ、父の米寿の祝いができないじゃないかと、ずっと心配だった。 父だって母にいてほしいはずだ、と思った。 問題は場所。 両親とも長距離の移動は負担。 「どこにする?」 「タクシーで10分かそこらの移動でなきゃ無理だよ。 「和・洋・中?」 洋や中でタクシーで10分程度の範囲だと、結局いつも連れ出して行く店しかない。 それじゃあ、ねぇ… 和にはまだ連れ出したことがなかったので、和食の店でお祝いしようということになった。 両親の体力を第一に考慮し、店の格はこの際度外視することにした。 残念だったのは、長男が研修中で参加できなかったことと、当日の雨。 両親の家の最寄駅で長女と合流し、私以外の3人は一足先にお食事会のお店へ。 私は両親の家へ行き、タクシーを呼んで、二人をお店に連れていった。 両親をタクシーに乗せた時が一番雨がひどかったような気がする。 なんてこったい… バースデーパーティーなど習慣になかった父は、孫からの「じいちゃん、お誕生日おめでとう」の声に顔をほころばせていた。 父が還暦の時にも私の一家がお祝いした。 蕎麦が大好物の父だから、老舗の蕎麦屋さんの個室で、母と私とやっと歩き始めた長男とで蕎麦懐石でのお祝いだった。 赤いちゃんちゃんこは他に使い道がないからと、エンジのベストとマフラーをプレゼントした。 今回のプレゼントは? 米寿のプレゼントって、どんなん? 還暦は「赤」だけど、米寿は? 「ねえ、米寿って何をあげればいいの?」相方に聞いてみた。 「米寿っていうくらいだから、ベージュ色のものじゃないの?」と相方。 あまりにも短絡すぎて信憑性がない。 調べてみると、米寿のお祝いには「金色から茶色いもの」だそうだ。 あら、当たってるじゃん。 とは言え、何をあげたらいいものかピンとこないので、プレゼントは長女に任せた。 長女が持ってきたのは小さな胡蝶蘭の鉢植え。 「じいちゃん、いつまでも元気でいてください」のメッセージつきだ。 父は祖父の歳を8歳超えた。 じゃあ、私達が父より長生きして卒寿、白寿まで元気でいるかというと、そういうわけにはいかない。 母や父の世代が一番健康なのだ。 私達の世代は化学物質があふれた環境で育った世代。 口に入るものもしかり。 それで長生きできるわきゃあない。 だからと言って還暦が限界とも考えたくない。 だって、相方、今年還暦だもの。 もう終わり、なんて思いたくない。 2時間ほどのお食事会。 また3人を店に残し、私は父と母を自宅に送り届け、パジャマに着替えさせ、薬を飲ませて、3人の待つお店へ戻った。 バタバタした会食だった。 母も父も、私と相方が一緒にいてほっとした顔をしていた。 父は帰り際、私には特になんにも言わなかったけど、相方に「ありがとう」って言っていた。 相方にまたまた感謝、である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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