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カテゴリ:水のメモ
【司馬遼太郎「坂の上の雲」より】

・日本においては新聞は必ずしも叡知と良心を代表しない。
むしろ流行を代表するものである。


・新聞は満州における戦勝(※日露戦争のこと)を野放図に報道し続けて国民を煽っているうちに、煽られた国民から逆に煽られるはめになり、日本が無敵であるという悲惨な錯覚をいだくようになった。


・日本の新聞はいつの時代にも外交問題には冷静を欠く刊行物であり
ーそのことは日本の国民性の濃厚な反射でもあるがー
つねに一方に片寄ることのすきな日本の新聞とその国民性が、その後も日本をつねに危機に追い込んだ。




「坂の上の雲」は日清・日露戦争の時代を通じて明治の日本国家と日本人のすがたを描いた司馬遼太郎の長編傑作のひとつ。

1968年の歴史小説だが、近年の極端な自虐史観への反省から、ここ数年ふたたびその人気が復活し、阿部寛、本木雅弘を主演にNHKの長編歴史ドラマ化もされた。


上記の司馬の新聞評は今日の新聞をみるかぎり、きわめて的確といえる。

顧みると、明治~太平洋戦争までの好戦的・高圧的論調から、戦後~今日の媚外的・自虐的論調にぐるりと180度回っただけで、新聞の本質自体は、明治の時代からみじんも進化・改善していない。

新聞のコラムは、なにかにつけ読者に「歴史に学ぶべきだ」というが、当の新聞自体は100年以上の間、ほぼなにも学んでこなかったようである。






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最終更新日  2012/08/18 02:47:18 AM
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