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カテゴリ:水のメモ
クアラルーン(コーラン)第9章

فإذا انسلخ الأشهر الحرم فاقتلوا المشركين حيث وجدتموهم وخذوهم واحصروهم واقعدوا لهم كل مرصد فإن تابوا وأقاموا الصلاة وآتوا الزكاة فخلوا سبيلهم إن الله غفور رحيم

神聖な月が過ぎたならば、多神教徒を見付け次第殺し、またはこれを捕虜にし、拘禁し、また凡ての計略でこれを待ち伏せよ。
だがかれらが梅悟して、礼拝の務めを守り、定めの喜捨をするならば、かれらのために道を開け。本当にアッラーは寛容にして慈悲深い方であられる。


この一説は、預言者ムハンマドが迫害されたときにアッラーが授けたので、他教徒への積極的な加害を示すものではない(?)というよくわからない弁明もあるが、ISIL(いわゆるイスラム国)がテロの際に引用するなど、言葉のまま理解している派閥もあり、イスラム系テロリストの行動原理でもあるのは事実だ。
仮にムハンマドが迫害されたのが事実にしても、他教徒への強い拒絶がみてとれる一節である。
全てのイスラム教徒は多少の解釈の差はあれど、このコーランを唯一の経典としているし、この「多神教徒(仏教や神道も含まれる)を見つけしだい殺せ」の一節を否定しているイスラム教徒はいないことを肝に銘じておくべきだろう。

最近はよく日本でも
「イスラム教徒を差別してはいけない」
「イスラム教徒が暮らしやすい社会を」
などといわれ、それは悪くないのだが、日本人がイスラム教圏の国に行けば、まず徹底的な差別を受ける。
それは、なにもイスラム教徒の性格に問題があるわけではない。
イスラム教は他教徒(というかイスラム教徒でなければ全ての人を)を徹底的に攻撃するしくみになっているからだ。

実際、コーランの中には「(悪いことを)他人にしてはいけない。ただし他教徒にはしていい。」というような教義が多い。
これは主に仏教や儒教がベースにある日本人には分かりにくいが、イスラム教にせよ、キリスト教にせよ、一神教は基本的に他宗教を認めない。
そして、イスラム教はその傾向が他の宗教にくらべ非常にに強い。
同じ一神教でも、イスラム教はコーランに忠実であることを徹底的に求める特徴があり、例えばろくに教会通いをしない人や1年に1度も聖書を開かない人がほとんどのキリスト教のようなゆるさはない。

イスラム教は原理主義的で徹底的に排他的で差別的な宗教であるといえる。

イスラム教国では、他宗教は弾圧されるのが、逆にイスラム教徒が少数の国でイスラム教徒が迫害されると、他国に移住するが、けっしてその国の神を尊重することはない。
日本にも埼玉県や群馬県にイスラム教徒が集団移住している街があるが、たとえばイスラム教徒の子どもがいる自治会や保育園のイベントで「クリスマス会」や「ハロウィーン」をやろうとしたら、イスラム教徒の親が猛烈に抗議してきて子どもを参加させない
・・・のであればともかく、会の中止を求めるのである。
なぜ、イスラム教の子どもを参加させないだけでなく、会の中止を求めるのか?

別にイスラム教徒がわがままなわけではない。彼らはほとんど善人である。
教義的にそうするしかないのだ。
イスラム教は他教徒を廃絶する・・・尊重してはいけない教義になっているためで、イスラム教徒の人が意地悪なわけではない。
彼らは彼らが唯一のよりどころとしているコーランにしたがっているに過ぎない。

これらは、イスラム教徒が他国の文化を尊重することを許されておらず、けっして真の意味では他国と調和しないことを意味する。

イスラム教は好戦的、攻撃的な宗教だ、という見方は間違っているとまでは言えないが、さほど正確でもない。
イスラム教はきわめて排他的な宗教で、他宗教や異文化を認めず、廃絶するように信徒に要求するため、宿命的に争いを起こしやすいというのがより正しいだろう。

イスラム教徒のほとんどは善良で、争いを好まず、親切だ。
しかし、彼らのが唯一の拠り所とするコーランは彼らに我々異教徒との共生を許してはくれない。
日本人は無宗教というより一種の多神教のような宗教観を持つ人が多い。
「そうですか、あなた様の神様はすばらしいですねぇ。」という感じで、キリスト教も、イスラム教も、仏教も「いろんな立派な神様がいるのですね。」と受け入れてしまう。
ハロウィン、クリスマス、神社に初詣、仏式の葬儀・・・これらを同じ人がすべてやってしまう。
だから、一神教の、イスラム教の排他性が実感できない。
イスラム教徒は我々日本人が他者の信仰を「内心の自由だから」と尊重するような態度を、彼らはコーランに許されていないのだ。

我々がイスラム教徒と共生できないにしても、平和的に共存するには、文化の境界線(国境)をしっかり引き、その境界を越えない限りは互いに攻撃しないという政治的な約束を守るしかない。
平和は異なる文化が存在することを認める態度の上にしか存在し得ないのは、歴史が証明している。

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つまり、イスラム教そのものが危険であるという以上に、イスラム教の本質的排他性を理解せずに関わるのが危険なのである。

イスラム教徒を尊重する態度とは、その教義の本質的な部分を理解し、彼らの文化を認め、彼らには我々の文化を認めてもらい、互いに侵害しないという約束をするという、ごく当然のシンプルなものだ。

大事なことなので繰り返す。
イスラム教は、コーランは、無宗教、仏教、神道、儒教、キリスト教、ユダヤ教、いずれのイスラム教以外の宗教もその教徒も認めない。
あなたが親切で善人だからといって、あなたがイスラム教徒でないことを許さない。
そのことをしっかり認めたうえで、彼らと仲良くする方法を考えるべきだ。





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最終更新日  2017/02/24 11:28:08 PM
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