昨日TBSで、映画「のぼうの城」のテレビ初放送がありました。
ダンナさんに、映画も観て、DVDも持っているのに、なぜテレビも見るの?と言われながらも、見ました。
周囲を湖に囲まれ、浮城とも呼ばれる忍城(おしじょう)。
領主・成田氏一門の成田長親(野村萬斎)は、領民から「でくのぼう」を略して「のぼう様」と呼ばれ、親しまれる人物。
天下統一目前の豊臣秀吉(市村昌親)は、関東最大の勢力北条氏の小田原城を攻略せんとしていました(小田原征伐)。
豊臣側に抵抗するべく、北条氏政は関東各地の支城の城主に籠城に参加するよう通達。
支城の一つであった忍城主の氏長(西村雅彦)は、北条氏に従うように見せかけ、裏で豊臣側への降伏を内通し、籠城作戦に参加。
「武州・忍城を討ち、武功を立てよ」秀吉にそう命じられ、石田三成上地雄輔は成田氏が既に降伏を決めているとは露知らず、戦を仕掛けんとします。 城はすぐに落ちるはずでした。
ですが、軍使長束正家(平岳大)の傲慢な振る舞いに怒った総大将・長親は「戦」を選択。
当主・氏長より降伏を知らされていた重臣たちは、初め混乱するが覚悟を決め、かくて忍城籠城戦は幕を開けました。
三成率いる2万超の軍勢に、農民らを含めても3千強の成田勢。総大将たる長親は、将に求められる武勇も智謀も持たない、その名の通りでくのぼうのような男...と思われています。
ですが、長親にはただ一つ、他人に好かれる才能、特に異常なほどの民からの「人気」があったのでした。
地の利と士気の高さから、緒戦は忍城側の圧勝。
三成は、近くを流れる利根川を利用した水攻めを行うことを決定します。
総延長28キロメートルに及ぶ石田堤を建設(これは、一部が現存しているそうです)し、忍城は本丸を除いては城下を含めて水に沈みます。
この水攻めに対する長親の策は、城を囲む湖に船を出して、敵兵の前で田楽踊りを披露することででした。
不安定な小舟の上での舞い。萬斎さんの本領発揮です。
三成の指示で雑賀衆が、田楽踊りを踊る長親を狙撃。
長親は一命を取り留めますが、城に入らず場外で堤作りに雇われていた百姓の中から、長親が撃たれたことと耕していた水田を台無しにされた怒りから石田堤を壊す者が現れ、水攻めは失敗するのです。
三成軍が総攻撃を行おうとする矢先、小田原城が落城したとの知らせが成田勢にももたらされ、忍城も開城。
小田原城落城時までもちこたえた支城は忍城だけでした。
テレビの限られた時間内でしたので、結構カットされたシーンがありましたが、久しぶりに、萬斎のぼう様を楽しみました。