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2024.06.18
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日本の自動車メーカーとして世界に君臨するのがトヨタ、いまや国民の誰もが疑問に思わないだろう。
世界最強の自動車メーカーになったから、そのトヨタの期間地区が愛知県の豊田市である。
工場発祥地であり、自治体名で由緒ある挙母市から豊田市に変えたが、それほどの力が備わった企業だ。

その関連で話題に上がったのが車優先道路の感性が近づいたこと、中部圏中心の報道機関はこぞってこれを報じている。
この道路、付けた名前が名豊道路というらしい、名古屋と豊橋を結ぶという意味らしいが、尾張と三河を結ぶ道路と受け取ればいい。
この道路を自治体、国に働きかけたのがトヨタというのはよく知られたこと、地元ではトヨタ道路と呼ぶ。

経営陣が狙ったのは将来の生産工場と輸出基地の整備、まず初期段階で新たな田原工場が上がってくる。
三河と言っても渥美地区、昔で言えば田原藩だ、三河とも少し違う独立国、三河湾をはさんで吉良湊と対峙する地区。
こうした地勢的な面で田原藩は尾張になびいていたこともある、三河とは敵対していたこともあるのだ。
そこに工場誘致、それもトヨタを引っ張ってきたのが当時の市長だろうが、尾張を見据えていた成果である。
良好な広い土地の提供、港の整備も優先的と、トヨタの意向を積極的に取り込んだのは言うまでもない。

これを受けトヨタが生産工場(組み立て)を作ると決め完成させ最初の出荷が何と40数年前、1979年。
現在は輸出中心のレクサス、ランクルなど上級車を製造、記念碑的なのは初代セルシオの生産だった。

この流れで課題があったのが物流、部品はジャストインタイムで運び供給しなくてはならないから道路整備が不可欠だったこと。
主な部品会社、協力会社は大手は生産工場近くに工場を設けたが小部品らは運送しなくてはならない。
最初は東名高速豊川インター経由でピストン輸送して、しかしほどなく東名でも蒲郡インターを新設、そこで降り直通道路をと計画した。
ジャストインタイムが上手く機能しなかったからと思われる、思わぬ自動車渋滞にはまったのだ。

実はこの蒲郡インター設置が1つの突破口だ、豊川インターに行くと渋滞に巻き込まれる、手前で降りれば道路は閑散として都合よいと受け取った。
それで急速に計画が上がったのがこのトヨタ道路である、豊田地区と周辺の部品を運ぶため東名を使わずに専用道路を作ってしまえである。
布石は土地買収からトンネル、鉄橋などインフラ整備へと向かう、周辺地域にこうした事情を察知される前に土地の買収が終わったと思われるほどトヨタの行動は早かった。
例えば、一級河川の豊川を三河湾の中で渡る必要があるが、立ちはだかったなら橋をかけてしまえだった。
知らないうちに豊川橋が作られたのがその象徴だった、当時三河湾の先にとてつもない大橋が誕生し地元民のド肝を抜いた。
後で聞くとこれはトヨタ田原工場用と噂が立ったが本当のことだったと知らされる。、でも豊田らしいさは無料ではなかったこと、たしか車通行料200円を取ったのではなかったか。

これがトヨタ道路の始まりだった、その後この三河地区は道路のための整備と建設が着々を行われた。
報道のようにこの道路、高速道路ではない、それに無料、信号機もないという自動車道路である、インターはたくさん作られたが利用は自由だ。
起点は名古屋風だが、第一義利用者はトヨタ関連企業で部品と完成車の輸送用、つまり豊田市近辺の工場の物流を支えること。
大きな計画が完成車の田原港からの輸出、トヨタ関連工場からこの道路経由で田原港へ、専用船で世界へ輸出すること。
なお、愛知から先へ浜松、静岡まで信号機なし道路がつながるそうだがトヨタはあまり関心がないのでは、ただスズキがグループに入ったからスズキは恩恵を受けるだろう。

要するに中部圏自動車産業を支える画期的な専用道路という位置づけ、これが苦節40年で完成するのである。
主にトヨタ完成車輸出は名古屋港だったろうが、港の混雑と航路の長さで田原港を優先するとみた。
三河湾でも外洋からすぐ近く乗せたり下ろしたりに便利な地区、ちなみに輸入車のVW、アウディ、ポルシェらがここを使っているのもうなずけよう。

言うなれば世界企業は国を超えて活躍しなければならない、それが同社のポリシー、彼らは地図を眺めて世界戦略を練るのである。





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最終更新日  2024.06.18 15:00:14
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