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カテゴリ:文学
この、東京→南紀白浜→高知 の大型フェリー航路は、 私が行った1・2年後に廃止になった。 今は、もう無い・・ (--〆) 骨を折り、腰まで折られながらの紀行文は ・・・おしまい! 村上春樹は、85年の作品の中でこう言っている。 「僕が小説を書こうとするとき、あらゆる現実的なマテリアルを、 大きな鍋にいっしょくたに放り込んで原形が認められなくなるまでに溶解し、 しかるのちにそれを適当な形にちぎって使用する。 小説というのは多かれ少なかれそういうものである。 リアリティというのもそういうものである。 パン屋のリアリティはパンの中に存在するものであって、 小麦粉の中にあるわけではない。」 ・・ と。 彼のスゴイところは、 真理を簡潔に表現するところにある。 しかも、安易な分かり易い表現で・・・ また、こうも言っている。 「少なくとも文章による自己表現は誰の精神をも解放しない。 自己表現は精神を細分化するだけであり、それはどこにも到達しない。 もし何かに到達したような気分になったとすれば、 それは錯覚である。 人は書かずにいられないから書くのだ。 書くこと自体には効用もないし、それに付随する救いもない。」 ・・と。 わたしは、まだ錯覚の領域を出てはいない。 精神の解放を、自己表現の中に見つけるほどの気構えも才能も持ち合わせてはいない。 従って、 細分化された精神は、大きな鍋の中でゴッタ煮状態でグチャグチャに融けたままである。 小麦粉のリアリティに拘っている内は、 まだまだ作家には、なれるはずはない・・・・ なる気もないが・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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