カテゴリ:カテゴリ未分類
●学習道・どんぐり流の前に
●長い歴史の中で、狂言ならではの表現の仕方が生まれました。決まった形で動きを表す「所作(しょさ)」とよばれるものです。たとえば、「泣く」。両手を目のあたりに添えて、頭を下げ、体全体をゆすりながら大きな声を上げて泣きます。これが、泣くときの基本です。そのほか、怒ったり笑ったり、狂言ではこうした人間の喜怒哀楽を一定の型で表現します。それは600年という歴史の中で、登場人物の気持ちを伝えるために作り出されたわざなのです。 能についても、同様のことが言えます。 http://www.the-noh.com/jp/trivia/052.html 能の型・所作の基本:能の舞台は「型」や「所作」と呼ばれる基本動作がつながって構成されています。一つひとつの動作は、手足のわずかな動き、装束の中での重心移動など連続した動きの中では、観客の気にとまらないものですが、基本(本当の基本)ができていなければ能を本当の意味で「舞う」ことはできません。能の稽古では、ほんの一瞬の短い動作を何度もやり直し、体が会得するまで繰り返します。師匠による手取り足取りの教えが基本ですが、ある程度できてくると懇切丁寧に教えるだけではなく、どこが悪いと指摘せず弟子に何度もただ繰り返させて自らある境地を見出すように仕向けるような場合も出てきます。また弟子も師匠や先達の芸を身近で見て、良い意味で「芸を盗んで身につける」こともあります。厳しく、示唆に富む稽古によって、能の本質は、600年余の長きにわたり今日まで伝わってきました。移動時の基本動作であるすり足は「ハコビ」と呼びます。重心の高さを変えずにかかとを上げることなく体重移動し、自然に歩を進める。その力強さは「台風にもびくともしない安定」とたとえられるほど。舞や感情表現の動作に比べて目立った動きではありませんが、鍛え抜かれた基本がなければ美しいハコビは生まれません。お盆に、水を満たしたコップやお椀、湯呑茶碗などを載せて両手で持ち、揺らさずこぼさないようにハコビを行う稽古方法もあります。稽古で培われた美しい「ハコビ」で長い橋掛かりを移動することも、全身全霊をかけた演技なのです。 ●茶道でも流派が有ります。道具には逸品と呼ばれるものが有ります。道具は流派に関係なく使えますし、使う人が神髄を体得していれば道具の善し悪しの差は小さくなります。しかし、所作に関しては、同時に幾つもの流派の所作を実行することはできません。物理的には出来ますが、それでは体系化された道に歪みを生じます。通常は不可能です。 ●華道でも流派が有ります。道具には逸品と呼ばれるものが有ります。道具は流派に関係なく使えますし、使う人が神髄を体得していれば道具の善し悪しの差は小さくなります。しかし、所作に関しては、同時に幾つもの流派の所作を実行することはできません。物理的には出来ますが、それでは体系化された道に歪みを生じます。通常は不可能です。 ※2つの流派の混在が可能だとしたら、それは、その2つの流派をどちらも極めた人だけに出来る、新しい流派です。 <参考:指導と評価の下書き原稿より> ※案内「どんぐり倶楽部の教育講演会 in 2012」 ※日本ブログ村に参加してみました。 このブログが参考になりましたら、お手数ですが、下記のバナーをクリックお願いします。 【頭の健康診断】は下記より:年長~小6(中学生は小5-6を使用可) *今の学習形式がお子さんに合っているかどうかも診断できます<診断表アリ>* お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年05月13日 15時25分01秒
|
|