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カテゴリ:緩和ケア
日本人は本当に無宗教なのか【電子書籍】[ 礫川全次 ] 緩和ケアでは、スピリチュアルな痛みをケアすることも大切である。 スピリチュアルな痛みとは、自分は何のために生きているのか、自分の人生に意味はあったのか、死んだらどうなるのか、というような魂の根源に触れるような問題である。 そこをホスピスで追及されると多くの患者さんは居心地の悪さを訴える。 クリスチャンはおおかた解決される。 自分は神によってこの世に産み出され、神の業(わざ)を成し遂げるために存在し、その神の教えを広めるために毎日を過ごし、この世での生が終われば神の元に帰る、という簡単な教えである。 イスラム教徒も根本は同じであろう。 そういった一神教を持たない今の日本人には、自らの魂が死んだらどうなるのか、そこにに対する教えがない。 軍国主義下の日本では、天皇陛下を現人神として国民はその赤子であると、まるで一神教の信徒の如くなってしまった。 その反省も大いに影響しているであろう。 よって一神教を信仰しない日本人には頼る神がいないように見えて、キリスト教に端を欲するホスピスではスピリチュアルペインがあるように思われて、なんとなくそこで過ごすのは居心地が悪いのである。 この本では、我々日本人は長い歴史のなかでは、祖先崇拝の民族であったが、明治維新という改革のなかで、国家神道があたかも宗教のように捉えられるようになってしまい、廃仏毀釈運動が起こって仏へ 信心を棄ててしまい、そして戦争に負けたことで宗教としての国家神道も棄てることになり、無宗教となったと言うのである。 日本化した仏教が教えたものは、亡き人はみな仏になってその骨は墓にいるからそれを守り、それらを大切にせよ、ただし祖先の魂は神とともに山の向こうにいるので、その前に神社と鳥居をつくっておくから、そこから拝みなさい、というシンプルなものであった。 今の日本人にとって神は天皇陛下でもなく、その祖先神たちでもない。 神社の向こうにいる八百万の神に、初詣はその年の幸福を祈り、その必要たるときに学業、恋愛成就、家内安全、商売繁盛と言った現世利益を祈る場所である。 そして自分も死んだ暁には成仏させてもらって、八百万の神の仲間にしてくださいね、と祖先たちに頼みに、仏壇や墓の前で拝むのである。 これからは自信を持って、私は無宗教ではあるが浄土真宗の寺に墓を持ち、仏壇の前で浄土に過ごす仏を通して、祖先神を含めた八百万の神に毎日感謝しながら生きています、といおうと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.01.10 11:46:59
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