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岐阜/医大生が指導する明光義塾長良教室&芥見教室

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2024年04月07日
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カテゴリ:日記




JUJU 『桜雨』

★桜の思いで


 桜の花が満開に近く風もなく穏やかで今日はお花見日和で最高かと思います。桜の花にはそれぞれの思いがありますしきれいだけに記憶も鮮明に残っている方が多いのではないでしょうか。
 私は昨年の4月13日にS病院に入院し翌14日に手術をしました。病名はすでにお話ししましたように大動脈瘤です。死と隣り合わせの非常に危険な病気に遭遇致しました。私の父親は4月11日に心不全で亡くなりました。岐阜から四国の新居浜市まで車で約500キロ少々ですが一気に帰りました。帰り高速から降りて国道11号線に散った桜の花の絨毯の上を車でぶっ飛ばして帰ったことが昨日のような気がします。私は桜と言えばどうしてもその時の心象風景があります。
 しかし、今度は私自身が大動脈瘤になりそれも胸と肢と2カ所に出来て将に薄氷の上を歩くような気持ちでした。発見は一昨年の夏でした。胃カメラを飲んでピロリ菌が発見されエコーを撮った時大動脈瘤がかなり大きい数字になっていたのです。50mmを越えると死亡率は90%と言われているようでした。当時中学3年生、高校3年生が多く彼是40人ほどいました。それ以外の小学生や中学生、高校生がいたので正直S病院の部長さんとお話をしている時何とか様子見で4月か5月頃まで伸ばせないかと相談しましたが「そんな余裕はないよ」と言われましたが最終的には「胸に痛みが出たらすぐ救急車で来なさい」との条件付きで少し延長していただきました。その間溜の大きさは52mmに達し肢の方は30mmがボーダーとのことでしたが既に32mmにもなっていました。毎日恐るおそる仕事をしていました。


 考えてみればサラリーマン時代私は何度か倒れています。最初は筋肉痛かなと思っていたのです。胸が急に引きつるように痛みが走り20分ぐらい経つと何とか直るということの繰り返しでした。結局体の不調は原因不明で会社を辞めて現在の仕事を始めたのですが私自身教室で2回救急車で運ばれています。20年ほど前のことですが立って居ると胸にドスンと思い重しのような物が落ちてきました。「あっ」と思ったが最後意識は失っていたのです。気が付けば病院の緊急治療室に入っていました。結果的に心筋梗塞だったのですが心臓の三分の一が壊死状態になりました。それから毎年検査、手術、検査、手術と繰り返しで10年ほど続きましたがその後落ち着いて何も変調はなく今回の手術の時に何かあってはいけないからということで検査をしましたが順調に進行しているようでした。そう言う結果で4月14日手術に至ったのです。病室の窓を少し開けてそこに流れて来る穏やかな春の風は散ることを惜しむように一枚の桜の花びらが私の体に流れてきました。手のひらで少し春を楽しみながら窓からフッと吹いて外に逃がしてあげました。それが私の昨年の桜との出会いでした。


 あれから1年が経ちました。正直手術は完璧に処理していただき非常に助かりましたが食欲がなく普段はよく食べるのですが米が食べれなくお箸で一口食べても吐き出す状況でした。体重は71キロあったのがどんどん下がり62キロまで下がりました。65キロで驚いたのがある朝63キロになって暫く変化はありませんでしたが62キロ台まで下がった時はちょっとどころか「死」ということが頭にちらつきました。正直手術の前には覚悟をしていたのですが無事に生還しましたので気持ち的には落ち着いていたのですが怖かったです。「生きたい」とあの時は思いました。食は味はなく体重も増えませんので薩摩のかりんとうやチョコレート等糖分のあるものを食べていました。退院後順調かと言いますとそうではなく急に38度、39度の熱が出て下がらないのです。昼まで寝て午後出勤という風に教室に行っていましたが朦朧として何ともならなくなり緊急口から入り見てもらうと初めての女医さんが緊急入院して下さいというのです。此処で押し問答が始まりかなり激しく言い合っていますと担当の先生が来てくれて何処も異常がないから解熱剤を渡しますと言って帰宅し教室に出かけて行ったのです。


 そういう生活が約退院後1か月検診の間続きました。此処で見たものは夢の中で過去のことと現実のことがクロスしてしまう妙な現象を知るのです。作家の平野啓一郎は「過去は変えられる」といいまた「個人」から「分人」へと分かれることの意味が非常によく分かりました。私も学生時代の彼女と自殺した無二の友人の死がクロスするのです。学生時代の彼女と彼の接点は何もありませんがどうしても夢の中でクロスするのです。一体あれは何だったのでしょうか・・・。


 抜糸1カ月後病院を訪れると医者はその話をじっと聞いてくれました。「手術は完璧でした。今度は1年後になります」と言って話され私はお礼を言って病院を後にしたのです。春の風は彼女の香水の香りがしました。高松まで来てくれて別れた彼女は元気なのでしょうか。後輩と一緒になったのですが噂は聞きません。私たちの学生時代は学生運動の最中でしたがあまり私は感心がなく小説ばかり書いていましたので部屋に籠っていました。社会人になって「瀬戸内文学」の同人誌に入り小松伸六先生から書きなさいと言ってくれたのですが何故か若気の至りでしょうか書くことを止めました。しかし、数年前からまた書き始めています。本を販売して儲けたいという気は何もないのですが自分の過去にケジメをつけるために節節で書いています。今回の手術についてもいつか短編集に載るかと思いますがあれから1年よくぞ頑張ったと思うと同時に桜の花びらが、あの病室に流れてきたように、そして窓から逃がしてあげた鳥のように花びらとお別れをした1年前は確かに死に対する私の儀式だったのかもしれません。


 神様はもう少し頑張れと言っているのでしょうか・・・。


<今日の言葉>
「俺は底まで落ちたが、とにかくそれに耐えてきた。これからは上にいくだけだ」
           D・カーネギー「道は開ける」


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最終更新日  2024年04月07日 17時00分30秒
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