カテゴリ:歴史
天皇陵というのは、歴史研究の上で非常に重要な遺跡なのですが、明治時代の(現代から見れば)いいかげんな基準で比定されているものが少なくありません。
明らかに方墳と円墳の2つの陵(みささぎ)なのに、1つの前方後円墳とされているものまであるくらいです。 ところが宮内庁では、そんな胡散臭い陵も、原則として研究者ですら立ち入りを認めていません。 これが日本史、特に古代の歴史研究の最大の障害だと思っているのですが、これだけ頑な姿勢が、天皇陛下が現人神だった頃から一貫していたとばかり思っていたら、どうも必ずしもそういうわけではなかったという資料があったそうです。 読売新聞の一面トップ 10天皇陵の指定、昭和10~30年代に見直しを検討 当時から胡散臭いと、当の宮内庁も思っているものが少なくなかったようですな。なんで未だにそんな胡散臭いのがそのままなんでしょう。宮内庁ってちゃんと仕事してんのかね。 ちょっと気になったのがこの解説部分 ◆陵墓=天皇、皇后、皇太后などの墓所を「陵」、その他の皇族の墓所を「墓」、皇族の墓である可能性があるものとして、被葬者を特定せず、宮内庁が管理している墓所を「陵墓参考地」と呼ぶ。現在、「陵」が188、「墓」が552、「参考地」が46ある。このほか、天皇の分骨所や火葬塚、灰塚などが110あり、陵墓全体では896か所となる。歴代のすべての天皇陵は確定しているが、古墳時代までの42代の天皇陵に限ると、考古学的には天智陵(京都市)、天武・持統陵(奈良県明日香村)の2基しか確実ではないとされる。 うっそーん。 天皇陵っていったら世間一般ではこの前方後円墳しか思い浮かばないぞ。 なんとこの日本最大の古墳、学術的には仁徳天皇陵だと確定されていないとはちょっと驚きです。いや、まあよく考えれば4世紀っていうのは後世に編纂された日本書紀以外に全く資料が無いから当然と言えば当然ではありますけれど。 考古学的にも確定されている天智陵だって、あれ亡骸があるかどうか極めて怪しいし。 それに、天皇家は初代の神武帝から万世一系とされていますけれど、25代武烈天皇のところで一旦断絶していると言われています。天皇家は現存する世界最古の王室と世界的に認められていますけれど、その最初にあたるのが26代継体天皇なんですよね。 宮内庁は「皇霊の静謐を守るため」という理由でありとあらゆる陵墓の立ち入りを認めないなんて態度を改めて、戦前から怪しまれている陵墓や、25代以前の陵墓を遺跡として調査する事くらい、宮内庁立会いの下で良いから認めて欲しいものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年05月08日 15時02分43秒
コメント(0) | コメントを書く
[歴史] カテゴリの最新記事
|