カテゴリ:歴史
古代史は大好きなので、その手の記事は目に留まったら読まずにいられません。
でも、正直、これは中身を読んでみたらどっちらけでした。 邪馬台国やっぱり畿内?有利な証拠集まる(共に讀賣) 古代史最大の謎とされる邪馬台国の所在地について、「畿内大和説」に有利な“証拠”が、近年の発掘調査で集まってきた。 うーん。 この記事、隅々まで眺めてみても、どこに畿内説の根拠があるのかさっぱりわかりません。 どう考えても最後の方にある九州説を採る方のコメントのほうに説得力があります。「邪馬台国ではない」と断定調で書かれているのはどうかと思いますが。 畿内説は「邪馬台国は日本列島の大部分を統治する巨大国家あるいは国家集合体」というのをほぼ絶対的な前提の上に語られるのですが、これが致命的な弱点なんですよね。この前提が真である事を証明するものが何もありませんから。 この時代より前では漢委奴國王印の奴国、後世では南北朝時代「日本国王良懐」として冊封を受けた懐良親王、いずれも九州あるいはその一部を支配下に置く勢力でしかありませんでした。 邪馬台国もこれと同様に九州一帯あるいはそれよりももっと狭い地域を支配下に置いていたに過ぎないという可能性を否定する材料は今のところ存在しません。 出土した画文帯神獣鏡にしても、本場であるはずの支那で1枚も発掘されていない三角縁神獣鏡と同様、日本で作成された可能性が高いし(画文帯神獣鏡は支那で100枚ほど出土していますが日本での出土枚数の方が多い)。 つまり、この記事でわかるのは、畿内と四国ではそれなりの交流があったということだけ。この記事を見る限りでは、同時期の支那の魏と呉の関係のように、時に敵対し時に一方が臣下の礼をとるといった付かず離れずの関係だった事も充分に考えられ、共に国家集合体の一部だったという証拠にすらなりません。どういう考察をしたらこれが畿内説の有力な証拠だとぶちあげられるのやら。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[歴史] カテゴリの最新記事
|