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環境・平和・山・世相 コジローのあれこれ風信帖

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2012年11月19日
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 またもご無沙汰です。 やはり、相変わらずなにかと忙しくて…、 これはあちこちやたら首を突っ込みに行く自分が悪いのであって、誰にも文句を言えた筋合いではないのですけれど、性分とはいえ、死ぬまでこのオトナの分別などカケラもないコマネズミの如き生活が続くのかなぁ…と思うと、ちょっと情けないです。(^^;)

 ともあれ、これからまた、ボチボチ書いてゆく手はじめに、我が「紀峰山の会」の季刊誌『紀峰の仲間』に連載している巻末コラムを転載。紀州の山里に受け継がれる「山の神」の祭りについて書きました。肩の凝らない気楽な読み物ですので、どうかご一読ください。

 

 【以下転載】

 クマの毒舌コラム

 kuma.jpg  「山の日」制定運動を考える       

 日本勤労者山岳連盟など山岳5団体が共同で、「山の日」制定を求める運動を始めた。すでに「海の日」は16年前に7月20日として制定され、その後の祝日法改正により7月の第3月曜日として定着して久しい。なのに今もって「山の日」がないのはおかしいではないか、というのは当然ありうべき疑問だ。加えて、それが休日の追加になるなら「勤労登山者」としてなおさら反対する理由はない。ただ、国民の祝日としての「山の日」はなくとも、各地方に「山の日」はすでにあることから、その日を決めるのは難しいだろうと思うのだが、先の5団体は10月4日、6月の第1日曜日を「山の日」に推すと発表した。「山々が最も輝く」というのがその理由だそうだ。

 読者諸兄は新宮市熊野川町にある通称「浦木の森」をご存じだろうか。(株)浦木林業という三重県南牟婁郡紀宝町...といっても、熊野川を挟んだ新宮市のすぐ対岸で和歌山みたいなものだが、そこに本社を置く林業会社が管理する杉の人工林だ。もう10年以上前のことになるが、この森での幕営を目的とする山行をしたことがある。なぜ、そんな場所にわざわざテントを張ったのかというと、それ以前に人づてに聞いて何かのついでにそこを訪れ、一見してその凄さに圧倒され魅せられていたからだ。

 人工林といっても植えられたのは江戸中期、1世紀以上、五世代を遙かに超えてしっかり手入れして受け継がれ、すっくと天を突く杉の巨木が広々と林立する、まことにすごい森なのだ。初見の際は、人工林でもここまでになるのかとただ唸ったものだ。あの威厳に溢れた古杉たち、歴史を繋ぐ生命の群れに抱かれて一夜の夢を結びたい。それがこの山行を企画した唯一の理由だった。

 で、その夜は煌々たる月光に映える巨杉を肴に痛飲、期待の夢など見るはずもなく爆睡に落ちたのだが、目覚めると早朝からテントの周囲がやけに騒がしい。この滅多に人など来そうもない山奥で何事かと思って顔を出したら、数人の作業服の男たちが立ち働いていた。が、山仕事の雰囲気ではない。迷惑を掛けてはいけないのでテントを出て尋ねたら、「山の日」の準備をしているとのことだった。私有地に勝手にテントを張ったことをとがめられるかと思ったが、笑顔で「寒ぅなかったけ?」と気遣われただけだった。

 紀州の山の日は、1994年に和歌山県が11月7日と決めたのだが、これは古来、紀州の山村で旧暦のその日が「山の神」の祭日とされていたことに由来する。習知のように山を支配する「山の神」は女性であって、それも欲深いうえに嫉妬心と猜疑心の固まりという、まことに恐ろしくも扱いにくい存在であって、うっかり機嫌を損ねれば事故や怪我など大変な災厄を見舞われる。そこで山の民は年に一度の「山の日」を定めて山の神のご機嫌取りに励んだという次第なのだが、山村に伝承されるその習俗は誠に興味深い。クマはこうした熊野山村の伝承習俗の取材に一時期没頭したので、いささか詳しいのだ。

 山の神はこの日、自分の財産である山の木の本数を数える。当然のことながら財産は多いほどよいので、目に付くものを手当たり次第、木として勘定してしまうのだが、そのときうっかり山にいたら、人間も勘定されその場で木に変えられてしまう。だから、山の神の祭の日は山仕事を休み、決して山に入ってはいけない。

 また、山の神は好色なので、ぼた餅や穀物などのお供えもさりながら、なんといってもケズリバナを欠かしてはならない。このケズリバナというのは要するに男性そのものであって、木の枝の片方をササラに削いで下の毛に見立て、それを立てた根本に睾丸に似せた小石やミカンを二つ置き中央に奉納する。とはいうが、おおらかなもので隠微さなど微塵もない。

 さらに、そのお供えはなんといっても「オコゼ」が主役だ。山の神は自分が醜女(しこめ)であると思い込んでいて異常に劣等感が強く、美人に激しい敵愾(てきがい)心を燃やすらしい。その敵愾心が爆発して八つ当たりされたら目も当てられないので、山の神の祭には美人かどうかはともかく女性を接近させず、その代わり見た目が醜いオコゼを捧げるわけだ。まあ、オコゼと自分を較べるのもどうかと思うが、それで山の神が自分の方が美しい思って一年間しとやかに大人しくしてくれるのなら安いモノなのであって、山中の人々はこの日のために、遠く海の民からオコゼを求めたことであったろう。

 浦木の森に幕営したのは、たまたまその山の神の祭の前夜だったわけだ。先発隊の男たちはてきぱきと先の伝承通りの裁断をしつらえ、やがて後続の人たちが登ってきたのをしおに、こちらはテントを撤収して引き上げたが、知らずにそのまま居座っていたら今頃は浦木の森の木にされていたかもしれない。ま、それも悪くはなかった気もするが...

 ともあれ、こうした山の神にまつわる習俗をつぶさにみてゆくと、古来の紀州の山人たちの女性観が垣間見えて愉快だ。昔も今も、山男どもは山女のゲキリンに触れて恐ろしい目に遭うことがないよう細心の注意を払ってきたのであって、この気遣いというか用心というか、そうした思いが山岳自然への敬虔な畏怖(いふ)と憧憬(しょうけい)、そして感謝や愛護の念に深く繋がってこその「山の日」でなければならないとクマは思う。

 それに比べると、運動の担い手の皆さんには申し訳ないが、「山々が最も輝く」なんてとってつけたような発想のなんと薄っぺらなこと。だいいち、白銀でも紅葉でも山は見事に輝くし、この発想の元となる新緑の季節だって地方によって違うぞ。この紀州和歌山なら新緑が萌え輝くのはなんといっても5月だ。

 新宮が生んだ文豪佐藤春夫は望郷五月歌において、ちりまみれで哀れな東京の5月に対比し、「空青し山青し海青し、日はかがやかに南国の五月晴(さつきばれ)こそゆたかなれ」「のぼり行く山辺の道は、杉檜(ヒノキ)樟(くす)の芽吹きの花よりもいみじく匂ひ、かぐはしき木の香(か)薫(くん)じて...」と、紀州の五月の山の輝きを格調高く歌い上げ、紺碧の海が浜に寄せた貝殻に添えてこの歌を都の子どもたちに贈りたいと結んでいる。和歌山の登山者なら、その山行経験からこの佐藤のお国自慢と季節感に深く共感するに違いない。6月第1日曜日が「山々が最も輝く」なんて、「ちりまみれで哀れな」東京あたりの中央集権的で貧困な季節感覚の押し売りなど笑止千万、断固返上したい。

 とはいえ、「山の日」は紀州でこそ11月7日だが四国各県は11月11日、山梨や岐阜は8月8日、さらに日本アルパインガイド協会が10月3日などと、その根拠はよく知らないがてんでバラバラに定められている。全国一斉の「国民の祝日」とするため、いずれかの日を選ばねばならないことは確かだ。だから、「最も輝く」なんてクソみたいな理屈じゃなく、「どうせなら祝日のない6月がいいんじゃないのお?」って話なら判るのだ。

 6月5日は世界環境デー、それにちなんだ清掃登山を6月第1日曜日に息長く続けてきた労山の歴史もある。胸を張ってそう主張すればいいではないか。

  【転載以上】

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最終更新日  2012年11月19日 17時36分25秒
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