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カテゴリ:江戸の変人奇人狂人伝
江戸の変人奇人狂人伝、2 悲しき大金玉 まずは上の絵をよおく御覧あそばせましい、、、 「おい、彦五郎、浅草奥山の見世物小屋の並んでいる、その横で、大金玉を往来の人に見せ、陰嚢の前に笊を置き、銭を恵んでもらってるって話聞いたことがあるだろう?」 「あの大金玉の、そう、たしか大玉金太郎とかいう男のことですね、なんでも、その金玉の大なること、四斗俵(しとびょう)の俵より大なりとの噂が拡がり、往来の人あまた絶えず、女子衆(おなごしゅう)も顔赤らめ、胸を躍らせ、一目見たいと、列を作っているそうじゃねえですかい、、 「きゃあ、すごいわ、、」「御立派ですこと」「惚れ惚れします」、、 目が釘付け、惚れ惚れうっとり恍惚となる、まったく女子(おなご)ってやつは根が助兵衛でございますからな。 ちょいと考えて見りゃあ可愛そうな男なんだくらいには気がつきそうだ、哀れ、己の恥を売り物にして銭を恵んでもらっている乞食なんだ。そうしなけりゃ食っていけない極貧の者、とても大金玉だと頬を赤らめたり、笑ったりしちゃあいられないはずなのに、女という生き物は残酷でございますなあ、ご隠居」 「実はこの大きな金玉は陰嚢水腫という風土病で、江戸時代では珍しいのじゃよ、まあ、珍しかったから大金玉が見世物になったともいえのだ。 さて、その大玉金太郎の大金玉を見て、垂前萎道という西洋医学を学んだ長崎帰りの医者が不憫に思い、 「陰嚢の中の水をとって病を治しましょう、さすれば、大陰嚢は人並の大きさとなり、身動きも楽になりまする、」 と、申し出たのだが、 「お気持ちはありがたくいただきますが、この陰嚢のおかげで、家族に飯を食わせることができるのです。この陰嚢が人並みになってしまえば、家族が飢えに苦しむことになりまする、この陰嚢は拙者の命なのでございます。」 と断り、大金玉に紐をからげて結びあげ肩にかけ、重そうに帰っていったというのじゃ。貧民の笊の底には穴が開いていて、その下には、まだ哀れすぎる窮民がいたのだよ。」 「人の体の異常や、不自由さを笑っちゃいけませんねえ、、、でもね、湯屋じゃ、あっしの小陰嚢を見て、子供は笑い、盗み見た若い女はそろって馬鹿にしやがる、ご隠居、醜男(ぶおとこ)の小陰嚢持ちに産まれたのも、あっしに責任があるわけじゃあねえと思うんですがねえ、、」 注釈 西郷隆盛が陰嚢水腫の病に罹っていて、陰嚢肥大に苦しめられ、馬にも乗れなかったほどだったそうで、西郷どんの大金玉は有名だ。 西郷隆盛は写真を残していないことでも知られており、西南戦争で亡くなった時、 遺体の確認は人の頭並みの大きさに肥大化した陰嚢が決め手となったと言われている。 股下をしみじみ眺める 笑左衛門、
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最終更新日
2021年11月08日 10時30分06秒
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