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カテゴリ:江戸ぶら、ぼてふり、
江戸ぶら 江戸切絵図から消された町 1 ![]() 浅草新町 弾左衛門屋敷 「ご隠居、浅草寺は今日も賑やかでございますな、何処へ連れてってくれるのか、 わくわくしてきましたよ、」 「彦五郎、今日はちょいと、変わった場所を歩こうと思ってるんだ、ふんどし締め直してついてくるんだよ」 「浅草寺裏の変わった所といやあ、きっと、隠れ色町かなんかでございますか、」 「そんな、彦五郎が喜ぶところじゃあねえよ、あんまり期待しねえことだ、」 ご隠居と、彦五郎は雷門を潜り、金龍山浅草寺の五重塔の手前を右に折れ、勝蔵院をやり過ごし、花川戸町へ出て、大川を上るように足を進めた。 茶店、髪結い床、湯屋、鉢植え屋、小間物屋、餅屋、団子屋、自身番屋もあり、町駕籠も忙しそうに通り過ぎる賑やかな通りで、道行く人も多かった。 ~ごおーーん、ごおーーん、~ 「ご隠居、浅草寺の、昼九つの鐘(正午の鐘)でございますよ、腹ごしらえしなくちゃいけませんねえ、この辺りで、まさか八百善じゃあないでしょうね、一両二分の茶漬けじゃあ、ご隠居でもひっくりかえるお銭でございますからね」 ご隠居と彦五郎は通りの二股を右に折れ緑の木々に囲まれた聖天山待乳山の下を過ぎた。 大川から枝のように別れた山谷掘りがあり、その山谷掘りに沿うように土手が今戸橋から吉原へ続き、さらに三ノ輪の方まで続いていた。 土手は日本堤と呼ばれ、度々氾濫する大川の水が溢れても江戸の町中に水が流れないために造ったと云われていた。 山谷堀には吉原へでも行くのだろうか遊客を乗せた猪牙舟が行き来していた。 ご隠居と、彦五郎はその山谷掘りに架かった今戸橋を渡った。 堀に沿って板塀に囲まれた一角があり、山谷掘りに面したところには小さな門があり、その奥には石段が続いていた。 さらに浅草新鳥越町の方へ足を進めると、右手に瓦屋根の屋敷が連なり、道に面した場所には武家屋敷顔負けのような二間幅のがっしりとした長屋門があり、門の両側には六尺棒を持った見張り門番が目を光らせていて、正面の大門も左右の潜り戸潜も人を拒絶するかのように閉ざされていて、暗く冷たい空気が流れているように感じた。ここが板塀で囲まれたお屋敷の正門で山谷堀に面した門は勝手口だったのだろう。 「彦五郎、このお屋敷がどなた様のお屋敷かわかるかい?」 「いやあ、わかりませんが、大大名のお屋敷でございましょうね、水戸様か、加賀様の下屋敷も顔負けでございますね、」 「この屋敷はな、弾左衛門が住んでいるところだよ、この板塀に囲まれてた場所は新町(しんちょう)と云うんだよ、弾左衛門以下穢多の人が住んでいるんでえた村ともよばれているところだよ」 「へえ、あの穢多頭の弾左衛門の屋敷なんですか、塀はずっと続いてますし、随分と広そうですね」 「ああ、大名屋敷なんぞ比較にならないよ、中は一つの町だからな、このがっしりとした大きな門と、さっき見た山谷掘にあった小さな門以外に出入り口はなく、三十を超える寺がぐるっと新町の外を埋めていて、しかもその寺はみな関わりがねえとでもいうように新町に尻を向けて建っているんだ。 中の囲い地からは、塀越しに卒塔婆の裏側が見え、寺の本堂の瓦屋根も見えるそうで、その寺からの線香の臭いが漂ってきて、お経の声も聞こえるんだが、残念なことに、新町を守ってる訳じゃなさそうだよ。」 「これじゃあご隠居、大晦日には、三十もの寺が除夜の鐘なんぞ突いたんじゃ煩くて堪りませんなあ。それで、広い敷地の中はいったいどうなってるんですかい?」 「気になるだろう?実はな、この間、瀬戸物町を歩いてたら、燈心売りの泡助という男がね、急にさしこみ(額に汗が滲みでて普通に立ってはいられなくなる程の腹痛)がきて倒れ込んでいたんで介抱してやったってな、見知りの平助という男がやってる蕎麦屋の二階を借りて寝かして面倒を見たのさ、その時にね、その男、泡助というんだが、浅草新町の中のことを色々話してくれたんだよ。」 「ご隠居も人助けするんですね、それで今日はその泡助を尋ねようってんですかい」 「穢多は町民と仲良くすることは禁じられてんだよ、だから、新町の中には入れねえよ、まあ、泡助から聞いた話を聞かせるよ。 そこの一膳飯屋は漁師がやってる店で、深川飯が上手いって評判なんだ、一杯やりながら、ざっくりと切ったネギの入った浅利飯でも食いながら話そうじゃねえか、」 「八百善とはえらい違いですが、よおござんす、あっしも浅利飯は好物でござんしてね、、」 つづく 朽木一空
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最終更新日
2021年11月14日 10時30分05秒
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