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カテゴリ:笑左衛門 残日録
笑左衛門残日録 50 ![]() 隠居の江戸のお正月 武士の世界は元旦から繁多の極みであった。 江戸城では、元旦明け六ツより三日にかけて、尾張、紀伊、水戸の御三家を筆頭に譜代大名、外様大名、そして御目見え以上の旗本番頭衆らが総登城し、徳川将軍に年始の拝謁をするのである。 その江戸城総登城の風景を見ようと、大手門の大名小路は見物する野次馬でごった返した。 武士の社会は特に義理を重んじ、正月の挨拶は欠かすことができない。 同心の住む八丁堀の屋敷も新年の挨拶で行ったり来たりで多忙を極めていた。 某も昨年までは ~奉行様 どこに来たのか お正月 ~ と、嫌みの一つも呟く多忙さであったのだ。 武士の世界だけではない大店の旦那衆も、武士と同じように紋付袴、白足袋、雪駄で正装し、さらに脇差を1本腰に差し、正月2日から年始回りをするのだった。 町の商店は元旦だけ休み、二日には「初売り」をはじめ、初荷の幟を立て荷を積んだ大八車などが行き交った。 日本橋の魚河岸でも初売りが行われ、大勢の買い物客でごった返しました。 初売り、初荷、初商いなどで人々がにぎわう喧騒(けんそう)は江戸の町の正月の風物詩なのであった。 旦那衆の楽しみの不夜城”吉原は残念ながら元日は完全休業でございますよ。 江戸の庶民はお屠蘇気分で近所の寺へ初詣に出かけます。 「七福神参り」などと称して一月かけて寺社に参詣するのも楽しみであった。 さて、隠居の身の某(それがし)の正月はのどかなものである。 元旦早朝、新しい手桶で新年一番に汲んだ井戸水を「若水」と呼び、その水を沸かしたお茶を「大福茶」として飲むと、その年の邪気を払う効力があるとされているので拙者もまね事をいたしたのである。 それから、お屠蘇と雑煮を口にする。 息子の苦茶谷真正は南町奉行所の同心なので、お役目大事と、与力様のご挨拶周りに同行して、親の様子を伺うこともなさそうだ。 代わりに隠居所にはお筆の寺子屋の子供たち、お美代、直助、左吉、与次郎、がやってきて、今年の願いを込めた、若水を使った書初めをした。 お筆は、お年玉として、女の子には羽子板を男の子には独楽を持たせた。 子供たちの元気な声が消えたころ、小春日和で家の中より外の方が暖かいので、ほろ酔い気分でお筆と柳原土手に散歩に出た。 柳原の広小路では、町火消の出初(でぞめ)が披露され、猿回しに 獅子舞、軽業や手品、棒手振りや屋台の露店商などが立ち並ぴ、そりゃあ、にぎやかでございます。 柳原の土手の青い空にはいくつもの凧があがっていた。 お筆と笑左衛門が墨入れしてやった凧も風に踊っていた。 あっちの凧は正助の、こっちの凧は佐吉、向こうの凧は吾一のだ。 ~やっこ凧 空に踊って 嬉しかり~ カーンカーンカーンと、広場では羽根つきの音、 親父が負けまいと子供と独楽回しを競っている。 「おふで、手をつないで歩こうか」 「そういたしましょうか、お正月ですものね、うふふふふ、、」 ~おいぼれが おててつないだ お正月~ 本年も生きながらえますように、、笑左衛門 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年01月03日 10時30分07秒
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