炬燵蜜柑倶楽部。

2005/07/19(火)06:34

2WEEKS、もしくはひまわりと太陽(25)第五章その2

調べもの(79)

「…お久しぶりです、高村先生!」  昼休み、屋上に出向くと、村雨は満面の笑顔で高村を迎えた。可愛いじゃないか、と彼は思った。 「久しぶり…久しぶり、かなあ」  よいしょ、とコンクリートの上に腰を下ろしながら、高村はつぶやく。 「久しぶりですよ。だって、週末はさんでるし、先生、昨日来ないし」 「ああ…」  確かに昨日は、遠野の件でばたばたしていたので、昼の時間そのものがずれ込んでしまったのだ。 「それにしても、高村先生、今日元気無いですね、何か遅かったし…」 「何っか、ねえ」  ふう、とコンビニで朝買ってきたおにぎりをごろごろ、と転がす。 「授業やっていた方が気が楽って実習ってありかな、って感じだよ」 「そんなに、それ以外のことも、色々あるんですか?」  村雨は眼鏡の下の目を丸くする。 「あるって言うか…ほら、君と同じ学年の、遠野さん、知ってる?」 「知ってるも何も、有名人ですから…」 「うん、何か彼女のこととか、化学実験室で、妙な染みがあったこととか」 「妙な染み?」  村雨は首をかしげる。 「たぶんインクか何かを一気にこぼしたんだと思うよ。だけどあの机も隙間が狭いから、きっとこぼしたまま、拭けなかったんだな。ただそれを見て、五年生、少し騒いでしまって」 「確かに、あそこの机って、掃除には向いてませんね」 「うん。オレもそう思う。だけどまあ、別に動かす様に作られている訳じゃあないから、いいんだろうな。きっと校舎の解体でもした時には、下に凄い量のほこりが出てくるんじゃないかなあ?」  こんな風に、と彼は手で雲の様な形を作った。 「…それで、遠野さん、結局、転校したんですか?」 「転校…らしいね。オレにはさっぱり判らないけど。君等はどう聞いてるの?」 「私達は、もう。急に自主退学した、とか転校した、とか聞く分ですよ」 「そういうこと、良くあるのかなあ」 「良くって言うか…でも一年に一人は、聞きますね。だいたい」 「ふうん」  やっぱりあるのか、と高村は思った。  彼もまた、思い出していた。  週末、山東と会った後から、寝付きが悪くなっている。  そんな、眠りにつくまでの長い時間に、ずっと忘れていた記憶が戻ってくるのを感じていた。  確かに、自分が中等に居た頃も、そういうことはあった。確実にあった。ただ、小学校の頃程、頻繁ではないから、当時は疑問にも思わなかっただけなのだ。 「…あのさ、村雨さんは小学校の時、あちこちに回された方?」 「私ですか?」  そうですね、と彼女は空を見上げ、何度かうなづいた。 「そう…でしたね。人並みには、何回か、学校変わりましたよ。でもそれなりに、最終的には、落ち着きましたけど」 「人並みに、ね」 「先生は、違うんですか?」 「オレ等の頃くらいまでは、そういうのは無かったから。だからそう、転校は、確かにあの頃は多かったな」 「それで、理系に?」 「最終的にはね。君はもう、文系以外の何ものでもない、って感じだけどね」 「そうですね。確かに、それ以外何も無いし…」  ふふ、と彼女はまた空を眺める。 「そう言えば、先生、実習終わったら、また大学ですか?」  唐突に彼女は話題を変えた。 「あ、ああ」 「機会があったら、私、遊びに行ってもいいですか?」 「それはいいけど…でも君、オレ化学だよ」  彼女と化学の接点が、彼には思い浮かばなかった。  ふふふ、と彼女は笑う。 「ほら、何となく、縁が無いところだから、興味があるんです。私と化学って、似合わないでしょう? 知り合いでもなくちゃ、絶対入ることなんかできそうにない場所じゃないですか」  縁の無いところ、ね。あまり説得力のある理由とは思えなかったが。似合わないというのは納得が行くのだが。 「いいよ。でもちゃんと、オレが実習終わったらね」 「ありがとうございます。あ、じゃあ私の携帯の番号…」 *    「何か君、本当に毎日毎日、忙しない実習になってきましたねえ」 「はあ」  高村には、そう答えることしかできなかった。 「…インク、ですか」  茶を前にしながら何かを折る森岡は、ふう、とため息をついた。はい、と高村はうなづく。 「…と言っておいたんですが、ちょっと気になって、オレ、後でその床を水で拭いてみたんです」 「水で。ほう。それでどうなりました?」 「ほうろうの流しが、…赤黒…色に。溶けきってしまうと真っ赤に…」 「赤黒色。ちょっとそれは、インクの色じゃ、ないような気がしますねえ」 「ええ。ですので、ちょっと、お借りしたい薬品があるんですが」 「ルミノール反応を見るんだったら、駄目ですよ」  即座に森岡は切り返した。だがその手の止まる様子は無い。 「森岡先生」 「それは、インクであるべきでしょう。だから駄目。…で、そのことは、南雲さんに言いましたか?」 「南雲先生がご覧になっている授業で、見つかったんですが」  んー、と森岡は口元をきゅっと閉じると、ようやく手を止め、顔を上げた。 「あんまり、先走るんじゃないですよ、高村君」 「先走る、って」 「物事は、なるようにしかならない、ということです」  それだけ言うと、森岡は視線をTVへと移した。この時間はローカルニュースの様である。 「…全くもって、平和なニュースが多くて、いいですねえ」 「え?」  不意のつぶやきに、高村はどう反応すべきか迷った。 「昔、私がまだ子供や学生の頃なんてねえ、残酷な事件が多かったもんですよ」 「はあ」 「それも、中等に行く位の子供達が、意味も無く、人を殺したり。またそれを、TVの方も、これでもかこれでもかとばかりに報道したものです。動機とか、背景とか」 「そうだったんですか?」 「昔は、ね。まあ、政府の長期展望の教育改革も功を奏して、今はそういうこともほとんど聞かないから、いいじゃないですかね。いい世の中になったってことでしょう」  はあ、と高村はうなづいてみせる。だがどうしても、その口調からは、その逆の意味しか感じられなかった。 「…おや、高村君、君の携帯、鳴ってませんか?」  あ、と彼はズボンのポケットに手を突っ込む。 「よく判りましたね」 「いや、画面が揺れるんですよ」  ああそうか、と彼は思う。音は立てない設定にしてあるのだ。 「…はい?」 『…高村さん、高村さん、遠野が…本当ですか?』 「え?」  その声は。 「山東君、…か?」  森岡の視線がちら、と高村の方を向いた。 『…今朝、あいつの家を見に行ったら、いきなり鍵がかかってて』 「まさか、また、引っ越した、とか」 『そうですよ。見た訳じゃないけれど、隣の人が、昨夜遅く、何か、引っ越し業者が来たとか何とか…』  何だそれは。  高村もさすがにぞっとするものを感じた。遠野に関しては、昨日、学校に両親が怒鳴り込んで来ていたはずなのだ。つまり、「両親の引っ越し」に遠野がついて行った訳ではない。 『高村さん、そっちで何か、判ることはありますか?』 「オレには…」  ちら、と森岡の方を見る。 「…後で会おう。また連絡する」  呼び止める相手の声を半分無視する形になって、彼は通話を切った。 「…すみません、今日、今から帰ってもいいですか? 急用なんです」 「急用」 「…はい」 「別にいいですけど、ちゃんと指導案は書いておいて下さいよ。南雲さんはどうも忙しそうで、君の相手はまるでできそうにない様ですから」  ありがとうございます、と彼は頭をさげ、それから一分も経たないうちに、化学準備室から飛び出していた。

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