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カテゴリ:NK関係
だが、いくら自転車とは言え、走り出そうとしたものが急に止まれる訳ではない。バランスを崩した奴と、それを止めようとした俺は、一緒に側溝に突っ込んだ。
「痛ぇ~!」 「たたたたた」 突っ込んだのは自転車の輪だが、その際に二人とも思いっきり転んだのは言うまでもない。アスファルトというのは、決して転んだ時に優しい地面ではないのだ。ざらついた表面に勢いよく滑り込んだ俺と、衣替えして薄着の奴は、擦り傷の嵐だった。 「血、出てるじゃないですか!」 「あ?ああ、そう言えば」 俺は左腕の裏をぺろりとなめる。鉄の味。あられもない記憶が、一瞬脳裏によぎる。 「お前は大丈夫か?」 「俺は…ああ、大丈夫。切れていないから…」 座り込んだまま、奴はズボンのポケットに入ったハンカチを取り出した。さすがに時期が時期だけにややよれている。それでも俺は、サンキュ、と受け取ると、片手で巻き付け、結んだ。自転車はひっくり返ったままだ。 「…上手いんだな」 敬語が消えている。ああ、と俺はうなづく。 「よくあることだし、そんな時にいちいち結んでくれる奴もいないからな」 「ふーん…」 「こないだは、済まなかったな」 俺はつとめてさりげなく言ったつもりだった。だが奴の顔はリトマス試験紙よろしく、実に素直に赤くなった。 「…いーんだよ、別に」 「そうか?」 「そうかそうじゃないかって、もう済んだことだろ!俺があれこれ言ってどうなるって訳じゃないじゃないかっ!」 ま、それはそうだ。 「ところであんた今日は何の用なの」 「ああ」 きゅ、と口にくわえてハンカチに結び目を作る。 「用がなければあんたはわざわざ俺の所なんか来ないでしょ」 「確かにそうだな」 ふぅ、とため息をつく。一体何処から切り出したらいいものか。危機対処法。紺野の声が背中から聞こえてきそうだ。何とろとろしてんねん! そうだな紺野。そんな場合じゃないよな。そんなことしてたら、お前が来ちまう。 「S・S解散したんだって?」 「…ああそう誰かから聞いたんだ。誰?店長?」 「いや、ミナト君から」 「…奴から」 カナイはその名を聞いた途端、目をそらした。 「…それで?」 俺はうなづいた。 「RINGERに入って欲しいんだ」 驚くほずすっ、とその言葉は俺の口から出てきた。 「頼む。一緒にメジャーへ行こう」 「メジャーへ」 うなづきながら、俺は言葉を進めた。 「俺はお前の思うように、ひどい奴だから、お前が見込みないとしたらさっさと切り捨てる。でも、お前をもっと、いい声で歌わせてやれる。奴よりも、誰よりも」 「…すごい自信だな…」 奴の視線がこちらへ戻る。そうだ逸らすな、逸らさせるな。 「俺は全然、社会的にはロクでもねえ奴だが、音楽にだけは、自信はある。根拠なんかないし、勘違いかもしれないけれど、何か知らないけれど、ある。なくちゃ七年も、こんな髪してこんな生活してないさ」 「…だろーね」 呆れたような口調で、奴はつぶやいた。 「めぐみさんは、いいの?」 「良いも悪いも。俺が、捨てられたの」 ふーん、とカナイは気の無い声でうなづいた。 「とても優しいめぐみ君は、俺に自分を捨てさせる前に、自分から逃げてくれたのよ」 そう。とても優しかった。優しすぎて、気づけなかった。一度も俺の前では泣かなかった、彼の。 過ぎたことは仕方がない。だけど俺は忘れないだろう。忘れてはいけないのだ。 「…だとしたら」 ふと俺は驚いた。カナイの顔には、最初に会った時のようよな不敵な笑みが浮かんでいた。 「あの人は馬鹿だ。そしてやっぱりあんたひどい奴だ」 「思った通りだろ?」 俺は苦笑する。 「ああ全く。めぐみさんは本当に、あんたみたいなひどい人に惚れ込んでいたんだね」 「可哀想に」 「そう、可哀想だ。だから俺は絶対あんたになんか惚れない」 自信に満ちた声が、断言する。俺はあの脳天直下の衝撃がやってくるのを感じた。 「だから遠慮するなよ。俺も容赦しないから!」 ああ居た居た居た、とけたたましい紺野の声が聞こえてくる。できればもう少しゆっくり来て欲しかった、と俺は思う。 誰だって第三者にあまり見られたくない光景というものがあるのだから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.08.01 20:50:14
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