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カテゴリ:日記とか雑文(旧)
パニに派遣されたイリュウシンが戻ってきたのは、その十日後だった。
「一人で、戻ったのですね、イリュウシン」 皇后はすぐさま呼び出した彼女に問い掛けた。 「…申し訳ございません」 「私はあなたに、ニェリの兄、イプス・プトゥーリ・ハーサメを連れて来る様に言った筈ですが…」 傍らで聞くサボンは冷や汗が出る思いだった。 イリュウシンは同僚であるが、同時に現在、気の置けない話ができる友達の一人でもある。 「妹の遺体を引き取り、祖先の地できちんと供養する様に、という言葉を伝えましたか?」 「はい」 イリュウシンはうなづく。 「先日あなたは、あなたの里や、パニあたりでは、肉親が遺体を引き取りに来るのが礼儀だと言いましたね」 「はい。私はそう信じておりました。…いえ、今でも信じております! パニでもそうでした」 イリュウシンは顔を上げる。 習慣がそう簡単に無くなる訳がない。彼女はパニの里の住民に訊ねて歩いたのだと言う。 「では皇后様のご命令を、わざわざプトゥーリ・ハーサメは無視したということか?」 女官長は眉を寄せ、厳しい口調でイリュウシンを問いつめる。 「でしたらゆゆしきこと。いくら時浅きとは言え、皇帝陛下から許された方のご命令と言うのに…」 「事情は何か聞いていませんか? いえイリュウシン、もしかして、プトゥーリ・ハーサメはパニには居なかったのですか?」 「は…はい!」 「何故それを早く言わぬ!」 女官長は強い声で問い掛ける。 「それが…その」 「もどかしい。早く言わぬか」 「はい。パニの里の者から聞くところによると、現在、プトゥーリ・ハーサメはエコンソリ様の元に、とのことで」 「エコンソリ…黄土州候か…」 女官長の表情が翳る。 「しかし黄土州候とは言え、皇后様のご命令であるぞ、イリュウシン、そのことはきちんと告げたのか?」 イリュウシンはうなづく。 「申し上げました」 「確かにか」 「確かにです。私の首を賭けても」 「あなたの首を取っても仕方ないですよ、イリュウシン」 皇后はふう、と息をついた。 「では黄土州候の方へは」 「…少し様子を見ましょう」 「しかしそれでは遺体が…今は気候がよろしうございます」 「その辺りは女官長、あなたに任せます。腐らない方法を探して、この件が終わるまで朽ちさせない様にしてやって下さい。向こうではそれが大切でしたね、イリュウシン?」 「―――は、はい。乾いた風の地ですから…南の様にすぐにどうこうするということもなく」 「地に据え、風に乗せ、やがては大地の必要とする全てのものに与えること」 歌う様に皇后はつぶやいた。 「そう、黄土州ではその様に死者を葬るのでしたね。だったら尚更」 「判りました。しかし皇后様、方法が…」 「ああだからって!」 厨房方筆頭女官リュカ・カユ・エイセイは女官長の部屋で心の叫びをぶちまけた。 「ええ確かにわたくし達様々なものの貯蔵や保存など手がけておりましてよ。十歳でこの厨房に見習いとして入って以来、毎朝毎昼毎晩辛い厳しいけど素晴らしいお方から手づからの訓練を受けましたからね。ここ帝都は決して新鮮な肉も魚もその他の身のあるもの、命を奪って食さなくてはならないものはとても少なくて各地から取り寄せなくてはならなくて。ええ確かにここは政治の都。決して食の都ではございませんしそれが誇りでございましょう。しかしわたくしは厨房方筆頭、様々な保存方法を受け継いでおりましてよ」 「…だからその技術を、ほんの少し生かしてくれれば良いのだ」 「判ってはおります。判ってはおりますです~」 あああ、と眩暈がするかの様にカユ筆頭女官は椅子の背に倒れ込んだ。 あまりの演技臭さにレレンネイ女官長はげんなりとする。 「ああ板挟み板挟みどういたしましょう」 「どういたしましょうも何もない。ともかく必要なものは用意すれば良い。場所も用意させる。そなたは知識と手だけを貸してくれれば良いのだ」 「しかし…はああああああ」 そのため息は深く深く深く。 嫌いではない。レレンネイ女官長は思う。カユ筆頭女官はこの芝居臭ささえ無ければ、実に良い調理人なのだ。 今上の皇帝が召し上げた女達は、生き残った者でも、一様に出産以来身体が弱ってしまった。その健康を少しでも守ろう、引き上げようとしてきたのが歴代の筆頭女官だった。 そこに政治的な動きが無かった訳でもない。実際、夫人の一人を後押しして権力の一部を握ろうとした者も居たことは確かである。 ただそのもくろみは、まず水の泡に終わった。 今上の皇帝カヤが、どんな夫人にも平等に、贔屓の一つもしなかったのだ。 カユ筆頭女官はそんな女性達を、それこそ十歳の頃から見てきた。彼女の思いは本物である。 だがその本物の思いをその様に表現されては。 女官長は長いつきあいであるから故に思わずため息をつきたくなってしまうのだ。 「…ともかくよろしく頼む。そなたしか居ないのだ」 「あああああ仕方ございませんわね。確かにわたくししか居ないのですもの。ああレレ、それでは絶対に食材と間違わない場所を用意して下さいな。大きなかめと、塩をたっくさん…」 「それでいいのだな」 「それでだいじょうぶだと思いましてよ」 わかった、とレレンネイ女官長は同期の友にひらひらと手を振った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.08.23 18:39:08
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