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カテゴリ:日記とか雑文(旧)
あの時。
起きろ、と誰かが言っていた。 いや、言ったというのは正確には違う。それは頭の中に直接聞こえていた。 誰だ、と彼女は考えた。 言おうとしても、声が出なかった。 その相手を探そうにも、何も見えなかった。何も聞こえなかった。 その「声」以外、何も感じられなかった。 だが、考えた。伝えてくる誰かに返したかった。 誰だ。 「私の声が聞こえるな? KZ152」 何だそれは。 「それが今のお前の身体につけられたナンバーだ。私はお前の名など知らない。知る気もない。何故ならお前は既にこの帝国では死んだ身なのだから」 死んで? 彼女は考えた。死んでいるのか私は。 「このままでは死ぬ。確実にお前は死ぬのだ」 声は、穏やかだったが、話す内容は決して穏やかではなかった。そしてそれは、容赦なく続けられる。 「お前は確実に死ぬのだ。銃弾を全身に受け、火炎を浴び、既に身体の機能はほぼ停止している」 ああそうだった。彼女は思い出す。 全身を火がくるんだ。ひどい熱。ひどい痛み。軍服を通して、全身に火が広がった。その場に転がった。銃弾が全身に刺さった。弾けた。胸に。腹に。腰に。足に。手に。首に。顔に。 「だがKZ152。あいにく私はお前を死なすのは惜しいんだよ」 何。 「お前は何故戻ってきた? 逃げることはお前なら可能だったろう?」 可能だったかもしれない。 「では何故だ」 判らない。だが彼らもまた私同様、スケープゴートにされた。見捨てておけなかった。 「なるほど。それは優しいことだ。だがそれは甘いな」 何。 「結局は誰一人として助からなかったではないか」 返す言葉が見つからなかった。 「そしてお前とて生きてはいない。死んではいないというだけだ。そして私が一言言えば、お前は今この瞬間に、完全に、死ぬのだ」 …だが人間はそういうものではないのか。 彼女は懸命に反論を試みる。 自分が泳げなくとも、溺れている人間を見たら、水に飛び込んでしまうのではないか? 相手の気配に嘲笑のようなものを感じる。 「自分の失敗を全体に置き換えて正当化するな」 声は、彼の中に強く突き刺さった。 「それが一体何になる?」 そうだ、と彼女は思った。 結局私は、何にも出来なかった。自分一人救えない。奴等の計略にはまった甘さのせいで。あいつ等一人も救えなかった。脆弱さのせいで。 「だがまあそう自分を責めることもなかろう。確かにお前は分が悪かった。お前でなくとも、お前程度の人の良さを持っていれば、騙されもするさ」 奇妙に声は優しくなった様に感じられた。 「ところで、生きたいか? KZ152」 え? 彼女は問い返した。その質問は予想外だった。 「これから先、何としても生きたいか、と言うのだ」 当たり前だ、と彼女は答えた。 「だったら私はお前を生かしてやろう。ただし、今までのお前ではなく、別のお前として。『MM』を知っているか?」 聞いたことはある。反帝組織のか? 「そうだ」 それがどうした。 「私は盟主のMだ。もしもお前が、私の銃となり、ナイフとなるのなら、お前を再び生の世界へ舞い戻らせてやろう。今までのお前ではなく、全くの別人として」 …! スパーク。 自分の中で相反する二つの感情が呼び起こされる。 何も知覚できない状態は、答を出すのも素早かった。 是。 拒否する考えも、あった。 それまでのモラル、帝国への忠誠、軍人規範、「守っていれば安全」なもの達。 「安全」。それは抽象的だった。しかしまとめればこうなる。「それが無くては生きられない」と、それまで思い、守ってきたものだった。 だが、それは他人の手によって、一瞬のうちに雲散した。信じていた。信じようとしていた。 だがそんなものが何になる? 彼女は自分の中に、モラルや善意や道徳よりも強いものがあることに気付いた。 生きたい。 強く願った。 何をしてでも、生きたいんだ。 「よし」 「MM」の盟主はその時、満足気に呼びかけてきた。 「ではお前。私の新しい銃には、新しい身体と名と立場を与えよう。好みはあるか? 外見程度ならその望みを叶えよう」 望み。 突然話が現実的になった。 新しい身体? 問われた時、ふと彼女の中によぎるものがあった。 …赤に。 「赤?」 前の私は死んだんだ。血と炎の中で――― 「なるほど」 くっ、と笑う気配がする。 「ではお前の一番目立つ部分に、強烈に赤を使ってやろう。血の赤だ。炎の朱だ。そして次は自分以外の血でそれを更に染めるがいい」 彼女が新しい身体と「仕事」に慣れた頃、残した家族についての調査結果が出た。 ―――問い合わせの住所の家屋は焼失。住人及び嫁いだ娘とその配偶者の行方は不明――― ―――戸籍にその名は見当たらず――― ―――配偶者の家族は調査に当たった者に対し徹底した攻撃的態度――― 彼女は調査結果を握りしめた。泣こうかと思った。泣けるかとと思った。 だが涙は出なかった。 代わりに出たのは、笑いだった。 悲鳴が上がった。 管制塔、コントロールルームの扉が開いた時、一人が思わず発砲した。それが命取りになるとは知らずに。 中佐は少し短めに出した爪を鋭く振った。銃弾がははじかれ、その場に落ちた。 その場に居た六人程のスタッフは、脱力し、その場に固まった。 侵入者は、手と言わず顔と言わず、はだけた首筋と言わず、血で染まっていた。髪の赤が、瞳の金色が、彼女を余計に人外の者に見せる。 軍人は、軍人という名目を持ってさえいれば、人間相手になら何処までも勇敢になれるのもかもしれない。残虐になれるのかもしれない。 だが人外のものに対する免疫はなかった。 「コントロールキーをよこせ」 彼女はゆっくりと近付く。 スタッフは恐怖で動けない。動けないのに、目が離せない。 中佐は同じ台詞をもう一度繰り返した。 スタッフは機械のある部分を指した。彼女はちら、と確認する。差し込まれたままの鍵。 「…あ、止せ!」 なけなしの勇気がスタッフの一人には残っていたらしい。銃を両手で掴んで、彼女めがけて引き金を引いた。 だが次の瞬間、撃った本人は信じられないものを見た。 確かに、当たったはずだ。いくら後方仕様の銃だって、至近距離で撃てば…その位の威力は… だが目の前の者は。 「化け物…」 撃ったスタッフは全身から血が引いていくのを他人事のように感じていた。めまいと耳なりが同時にした。 彼女は左胸に開いた穴に軽く指を突っ込んだ。そして弾丸を取り出し、指で軽く飛ばした。 そしてそれが何処に命中したのか、確かめるだけの余裕はもはや彼等にはなかった。 …最後の血溜まりを踏みつけると、彼女は管制塔のキーをマニュアルに切り換え、全システムを自分の元に置いた。 ビル内の全ての扉を閉鎖し、睡眠ガスを送り込んだ。それは最初の計画から決まっていた手順だった。 全てのフロアにガスが行き渡ったことを確認すると、彼は通信回路を開き、中間待機の通信士官に向かって言った。 「聞こえるかち、アイボリー少尉…作戦は何とかなったから、迎えに来い…」 通信機の向こう側で、ご無事でしたか、と若い少尉の明るい声が聞こえた。 「ついでにカーマイン市を通って、向こうの放送局に居るだろう連中を引き取ってこい」 はい、と弾んだ声が聞こえる。 セルリアン准将の遺体を見たらこいつはどう思うだろうか、と一瞬頭をかすめたが、それは大して大きくは広がらなかった。 髪から赤い液体がぽとん、と落ちた。 ぬらぬらとして生臭い。最初に浴びた血は、既に服の上に黒く乾いていた。そして一番新しいものは、まだその出所からとろとろと流れ出している。 出所は、自分を化け物と呼んだ。 確かにそうだろう、と彼女は思った。こうまでしても、既に自分には全く罪悪感などないのだ。 化け物か。 爪をぬぐって、彼はつぶやく。 確かにな。 *** 鍵が開いていた。 慌てて扉を大きく開ける。するとそこには連絡員の陽気な笑顔があった。 「よお」 「…居たのか」 彼女は掴みかけた銃をしまう。 「優しいねえ、大家のおばさん。俺が鍵貸して欲しいって言ったら、愛人さんなら構わないよってにこやかに貸してくれて。俺っておばさんキラーの素質あるのかなあ」 コルネル中佐は、ずいぶんとくたびれてしまった帽子を掛けながら、連絡員の顔を眺めた。 「どうしたのさ」 連絡員は訊ねる。 ずいぶんと懐かしい気がしていた。だが出たのはこんな言葉だった。 「…何か用か?」 「いんや。今回は、あんた結構な戦闘だったらしいじゃない。いつもより充分。多少のオーヴァヒートはしているだろうからその調整と」 その台詞を聞くか聞かないかのうちに、勢いよく彼女は、カウチに身体を投げ出した。 だがいつもと違い、傍らにいる相手に視線一つ加えない。 「…Mは何か言っていたか?」 「いや別に。この間も、あんた聞いたね」 「…そうだったかな…」 嘘ではないだろう、と彼女は思う。 あの盟主がそんなことで、自分に気を使うことはないのだ。 反帝国組織「MM」の盟主は、弱さを嫌う。 自身の能力の有無すら計れないのに、弱さを口実にして、不可能を可能にする努力を怠る者を嫌う。 あの時、殆ど自分は原型をとどめてなかったという。 ただ脳がまだ微かに反応していたことから、あのやんごとなき人物は、その種族ゆえのテレパシイを使って自分に語りかけてきたのだ。 Mが自分に対して呼びかけてきたナンバーは、脳以外を全て人造部品に変えられた試験体のものだったという。 クーデター等で「死亡」した人間は、時に応じてこのように「回収」されて実験体として使われることがあるのだという。 彼女は、Mがどうして自分を銃として、ナイフとして引き取ったのか、未だに判らない。別に判りたいとも思わない。 ただその時気付いたのは、自分が生きたいということだった。自分が何をしてでも生きたいと願う動物に過ぎないということだった。 そして現在に至ってもその気持ちは変わっていない。 だが生きたい、という感情が強烈になるにつれて、行動に罪悪感が無くなってきたのも確かだ。 仕方がないだろう。彼女は思う。 既に自分は人間とは言い難いものになっているのだから。脳以外の全てが、人工部品に変えられているのだから。 使っている脳が自前のものでなくなったら、それはメカニクルと同じだ。 と。 「珍しいな」 赤い髪に触れてくる手を、ふっと彼女は掴んだ。 同じ手だ。人工物の。 「あんたが結構疲れているようだからさ」 「そうかもな。アタシもお前のように疲れること知らない方が良かったかな」 「冗談はよそうぜ」 連絡員は笑った。 だがそれはいつもの陽気なそれではなかった。 生き残った最後のレプリカントは、ほんの時おりにしかそんな表情をしない。 詳しくは知らない。 盟主から聞いた話では、二百二十年のレプリカ狩りの際に生き残った「標本」が意識を取り戻したものだという。 きっと盟主は、このレプリカの意識を察知して、再機動させたのだろう。―――自分に問い掛けた時の様に。 そのあたりのことは連絡員は言いたがらないし、彼女もまだ聞く気はなかった。 とりあえずは。 彼女は掴んだ手を引き寄せた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.09.04 16:48:16
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