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カテゴリ:日記とか雑文(旧)
しかし、とケウストは続けた。
「各地から持ち帰った種をこの地で撒くと、同じものができます」 アリカは軽く目を細めた。 「確かめたのですか?」 「確かめました。同じ様に炊くことができます。人が食しても大丈夫です。もっとも、南西部で採れたものの様に美味しくはないのですし、人によっては消化が悪いのか、軽く腹を壊す者もあったのですが…」 くす、とサボンは笑う。 「失礼ですが、炊き方に違いは…」 「女官どの、その時には厨房方女官に頼みましたよ」 あ、とサボンは口を押さえる。 「と言うことは…何が違うのですか」 アリカは一つ一つを指をつまみ上げる。 「…おそらく、土だと思います」 「土、ですか」 「はい女君。土。それに暖かいか寒いか。…つまりは、その土地の環境全体の違いではないのか、と考えられています」 「成る程…」 何度か小さく、アリカはうなづいた。 「ではその『違い』は正確に判ったのですか」 「いえ、未だです」 「未だ」 「遅々としてはかどらないのが現状です。…情けないことながら」 ふう、とケウストは大きくため息をついた。 「それで…その違いが判ることがどうなるのですか?」 サボンは問い掛けた。 「それは」 「同じ環境を作れば、美味しく炊けるものを作ることができるのでは?」 「女君」 ケウストは目を丸くした。 「そして南西部と同じ環境を他の場所でも維持できるようになれば、荒れた土地でも、豊かな穀物が実る様になる―――そうではないですか?」 「は、はい…だいたい、そうです」 「だいたい、ですか」 アリカは笑った。いやその、とケウストは眼鏡を取ると、汗を拭いた。 「…はい、でもやっぱり、だいたい、です。それはその、女君に対してでございましても…」 無言でアリカはうなづいた。そして問い掛ける。 「他にそういったものはありますか?」 その後彼女達は、畑を一通り見て回った。 紐で仕切られた区画一つ一つに、別々の穀物や野菜が植えられていた。 「あのあたりはまだ芽が出たばかりです」 その一つ一つについて、ケウストは説明を加えていく。 サボンはいちいちかがみ込んではじっとそれらを観察していた。 中には屋内庭園を小さく小さくした様な区画もあった。 全体が硝子で覆われた、小さな小さな畑。身を屈めて入ると、むっとくる熱気が頬に触れた。 「ここでは遠南部の果物を栽培しています」 「遠南部の果物と言いますと、あの色が鮮やかな、とろりと甘いものですか?」 サボンは目を輝かせる。彼女は遠南部の果物が好きだった。実家に居た頃は見たこともなかったが、宮中に来てから、その虜になっている。 その様子にケウストはにっこりと笑う。 「ええそうです」 「いつかはここで採れるのですか?」 ははは、と彼は笑った。 「そう簡単にはいきません。今期初めての試みですから。…それにこれ以上に屋内畑を増やすのは今は」 「何故ですか?」 サボンは無邪気に問い掛ける。 「…高価ですから」 「高価」 アリカは繰り返す。 「…はい女君。向こうの屋内庭園と同じ設備が必要ですから、非常に高価なものとなります」 「請求したら如何ですか」 「…」 彼は苦笑し、黙った。アリカとサボンは顔を見合わせた。 「…まだ結果の一つも出ないものですから」 「時間が掛かりますね」 「はい」 アリカの問いに、彼は低い声で答えた。 「でも時間がかかるからと言って、焦ってもいけないことですから。…できることを、今ここに居る者だけでやらなくてはならないのです」 「長官は?」 「長官様は、他部署と兼任ですし、庭園の方を担当されております。…こちらのことは、自分がする以外には」 「それで、手が足りないのですね」 「…はい」 そうか、とばかりにアリカはうなづいた。 「忙しいところ、案内してくれたことを感謝します」 それからというもの、アリカは幾つかの部署の様子を積極的に知りたがった。 もっとも彼女の動きを掌苑部のように開けっぴろげに歓迎したところは殆ど無かった。 「それは仕方のないことだろう」 皇帝はアリカの感想と問いかけに、そう答えた。 「掌苑部は正直、他に比べ、見捨てられている部分が多い」 「何故ですか? 彼等は大切なことをしていると思うのですが」 皇帝はかぶりを振った。 「あなたの言う『大切』と、官一般における『大切』は異なっている」 アリカは首を傾げた。そしてやや苛立たしげに顔をしかめた。 「先代、父帝が帝国を統一して以来、帝都では幾度となく、内部争いが起こってきた。ただ、先代の帝は、何よりも強かった」 「陛下も強いのではないですか」 「確かに私もそうかもしれない。だが心は弱い」 「ご自分でおっしゃるのですか」 彼は苦笑する。 「私は宿屋の倅だ、と言ったろう」 「それをおっしゃるなら」 「あなたは違う。女君」 「何が」 ほら、と彼はアリカを指さした。 「あなたは私に対し、そうやって何の怖れも抱かない」 ふい、と彼女は皇帝から目を逸らす。 「私にその様な態度を取る女は、二人だけだな」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.09.11 21:50:22
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