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カテゴリ:時代?もの2
「ずいぶんと長かったね」
宮内卿宅から仲忠はその足で桂の別荘へと戻った。 「心配かけました。父上。母上はお元気ですか?」 「そんなに心配ならすぐさま行ってやるがいいさ。ところでお前、吹上はどうだった?」 「…文で色々お伝えしたでしょう」 「お前の口から聞くのが一番さ」 「まあそれはおいおい。一言では言い尽くせません。あ、素晴らしい馬をいただきましたので、それは父上に差し上げます」 「馬かい?」 「素晴らしい馬ですよ。皆四頭づつもらいましたが、それだけではなく」 細工の馬を渡すと、ううむ、と兼雅は腕を組んだ。 「そういうものをぽん、と土産にできるとはさすが『宝の王』だ。他の話は無いかい」 「さて僕は母上にお土産を渡さなくちゃ」 そう言って素っ気なく仲忠は父の元を立ち去った。 「まあお帰りなさい」 そう言ってゆったりと北の方は微笑む。透箱や、細工物を渡すと彼女はまあ、と小さく声を立てた。 「勿体ないわ」 「母上以外には誰もあげたいと思うひとが居なくて」 「そんなこと言って。聞いていますよ。あて宮に文を出しているのでしょう?」 「ええ」 素っ気なく仲忠は答える。北の方はそんな我が子を見て、少し不安になる。本当に息子はその女性に恋をしているのだろうか。 世の中の男が一体どうなのか、彼女は知らない。夫一人である。息子が外で何をどうしているのかも知らない。 彼女はただ、いつもじっと待っているだけである。昔から。 そう、父、清原俊陰が存命中からそうだった。 父が何をどう思って、当時の帝、嵯峨院からの誘いを疎んじ、治部卿という肩書きのもと、人に殆ど会わない生活を続けていたのか判らない。 ただ彼女がその人嫌いの余波を受けていたのは事実である。 母の早世が拍車をかけた。 父は母を追う様に亡くなった。その頃には彼女に打診されていた入内の話や、様々な公達からの文だのは影も形も無くなってしまっていた。 当時の彼女は知らなかったが、宮内卿忠保が思う様に、世間では親の権勢や財産を武器に婿を手に入れることが多くなっていた。男達にとって、治部卿亡きあとの彼女は用は無かった。 彼女は一人残された。 仕える者も一人減り二人減った。出て行く際に彼等は家財のなにがしを持ち出した様だが、無論彼女は気付かなかった。 彼女が気付いた時には、寝起きする部屋の、更に一角にしか物は残っていなかった。 忠実な乳母は死ぬまでそんな彼女を心配したが、何の力もなかった。乳母はその召使だった、嵯峨野という名の媼に彼女を頼んだ。 嵯峨野は実に現実的な女だった。特にその力は、彼女が兼雅と契って後に発揮された。 彼女が兼雅と出会ったのは、秋八月も半ばの夜である。 賀茂詣のついでに、荒れ果てた京極の俊陰邸に当時十五の兼雅が彼女を垣間見た。彼は夜になって一人出かけていった。「若小君」にしてみれば冒険だったのだろう。 聞こえてくる琴の音に彼は誘われ、彼女の元へと辿り着いた。二人はその日のうちに恋に落ち、二晩幼い手で互いを求めあった。 だが次に二人が出会うには十年という月日が必要だった。何しろ当時の太政大臣の秘蔵っ子の四郎君と、何処と誰とも知れぬ娘である。 彼には彼女を探す術も力もなかった。彼女は彼どころではなかった。妊娠していたのだ。 もっとも彼女はその妊娠を、産み月近くなるまで気付かなかった。いやそもそも、そんなことが起こるとも知らなかったのだろう。 彼女の様子や、身体の変化に気付いて指摘したのは嵯峨野だった。 月のものが無かったか、と聞いても「そんなものかと思っていた」とあっさり答える姫君には任せておけぬとばかりに、この媼は老体にむち打って走り回った。 食事の世話から出産、生まれたばかりの赤子の世話も、授乳以外の全てをこの媼は受け持った。仲忠が無事生まれたのはこの嵯峨野のおかげである。 もっとも嵯峨野は仲忠が五つかそこらになった頃亡くなった。兼雅の北の方となった今だったら、どれだけのことが嵯峨野に返せるかと思うと、非常に胸が痛む思いをする。 しかしそれからの暮らしは辛いものがあった。 正直、彼女は自分がどうしたらいいのかさっぱり判らなかった。嵯峨野が食事を用意してくれたら食べ、しなかったら何も食べない。食事を作ることができない。それ以前に食べ物を得ることを彼女は知らなかった。 どうしたらいいのか判らないままに、それでも残されたものや水を口にしていたうちはいい。それすらも無くなった辺りから記憶はぼんやりとしている。 腹が満たされたと思ったのは、仲忠が運んできたものを口にしてからだった。 幼い仲忠は、親切な人が食べ物をくれた、と言った。彼女はそれをそのまま信じた。 時には魚を「自分で取った」と言った。時には疲れ果てた格好で木の実や芋を手にしていた。それらを調理したのも彼である。母親は何も知らなかった。 「母様は何も心配しないで」 そう仲忠は言った。確かに言った。 およそ子供の言葉ではなかった。 それ以来彼女は息子の言葉には何でも従っている。疑ってはいけない、と思っている。それが良いか悪いかは判らない。彼女には判断できない。 彼女が判るのは、琴だけだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.11.26 16:15:43
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