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カテゴリ:時代?もの2
とある日のことである。
「姉様」 今宮の前に、宮あこ君がぶすっとした顔で現れた。 彼はまだ元服前なので、同腹の姉達の前にひょいひょいと顔を出す。姉達も彼を可愛がっている。 「どうしたの? 向こうのあこ君と喧嘩でもした?」 「ううんそんなことない。あいつと居ると楽しいし」 同じ歳の家あこ君とは、住むところは違っても、何かと行き来している様である。先日の舞でもお互いにその健闘を讃え合ったと今宮は聞いている。 「これ」 彼は縦折りの文を差し出した。 「私…」 じゃないわね、と彼女は大きくうなづいた。 「前にもそういうことなかった? あて宮宛なんでしょう?」 宮あこ君はうなづく。 「あったよ。前は真言院の阿闍梨だった。渡してくれってしつこくってさ。僕あれから大人って嫌だなー、って思っちゃったじゃない」 「それは私も思ったわよ」 ねえ、と近く居る女房に彼女は同意を求めた。彼女達はやや困った顔をした。 「阿闍梨だけじゃあないよ。良佐さまも前、僕に頼んでさ」 「あの方も」 「そう言えばそういうお話、聞いたことがございますわ」 「あの方はあちらに住んでるから、家あこの方が渡しやすいんだろうけど、あいつじゃああて宮のお姉様には渡しにくいだろうからってわざわざ僕にさ」 ぶつぶつと宮あこは言い捨てる。 「で、誰からなの?」 「見れば判るよ」 「私が見ていいの?」 「だって別にどの宮に、なんて言わなかったもの」 しらっと彼は答える。今宮は肩をすくめると、文を開く。 「―――思いに堪えられないのにつけても、胸だけでも燃えないのでしたら、身からも胸からも焔を出さずに済むでしょうに――― そういう訳で隠れ場所も無いので、やむなく御消息申し上げるのです」 「立派な御手跡ですわねえ」 回される女房達は感心して見る。 「けど紙とかは結構素っ気ないのでは?」 「だって言ったもの。『これは普通のことを申し上げるのですから』って」 「こうゆうのはあて宮は受け取らないって言わなかったの?」 今宮はため息をつく。 「言ったよ。だけど良佐さまと同じさ。何か、渡さないと漢籍の稽古もしてくれなさそうだったんだもの」 「漢籍の稽古」 ということは、と今宮は記憶を巡らす。 「藤英どのなの?」 弟はうなづく。 「だから僕言ってやったさ。『ずいぶん久しく漢籍の稽古をして頂きませんね。他の人の前では読むなと仰ったので、読みも致しません。悪い人ですね』ってさ」 「それで?」 それで済むはずが無いだろう、と今宮は思う。 宮あこの漢籍の師。それは藤英だった。 そう言えば彼は現在、父左大将の東宮大夫の辞表を作るために、南の大殿に部屋を設えてもらっている、と今宮は思い出す。 現在彼は「大内記」という職についている。詔勅、宣命を起草し、位記を書き、御所の記録を掌る重要な役目で、五位に相当する。 このほど殿上も許された。東宮学士も兼ねている。役に立つ者として、朝廷から大事にされている。 評判が上がるにつれ、高い身分の人々が彼を婿にしようと話を持ちかけてくる。 だが彼はそんな話にはまるで乗らない。何でもこう言い放ったそうである。 「私が貧乏に困っている時には、ただもう皆様私を虫か鳥の様に軽蔑していたじゃないですか。もし私の髪の毛に火がついたり、大海にさらわれ流されたとしたも、誰もきっと救いはしなかったでしょうよ。そう、あの時それまで頑なに持っていた矜持を横に置き、身の程も顧みずに左大将どのの屋敷までの行進に加わったがために、現在はその今をときめく方のお目に止まり、多少なりとも実力を認められました。それで少しは世に出て人並みになっただけのことで、中身は元の藤英と何も変わったものではないのです。そして私がこういう人物であるのは、まず天道が公明であり、私の学問の実力が確かであったからです。今こうやってかつては天人かとまで思われた高貴な人々と肩を並べて同等に交わったり、位の高かった人を今では自分の下に見る様になり、元々及びもつかないと思っていた宮中をまるで我が家の様に馴れ馴れしく考えることができるのは、全て仏のお陰でしょう。私を嘲弄する公卿の皆様、あなた方はあなた方に相応しい五位の方を婿にお取りになれば良いでしょう」 確かそれは兄の一人が爽快そうに言っていたはずである。今宮にしてみれば、何格好つけてんだ、と考えずにはいられない。ともかくこの男はいちいちと自己主張が長ったらしいのだ。 馬鹿じゃないか、と彼女は思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.01.28 13:13:13
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