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カテゴリ:時代?もの2
仲忠はその足で、あて宮の皇子達の住む場所の方へ向かった。代わりの袴等を調達しなくてはならなかった。
衣桁の所へと立ち寄ると、そこに控えていた女房達がどっと笑った。 「色々と大変な夜でね」 仲忠は半ば照れ隠しの様に女房達に言い、代わりのものを頼んだ。あて宮の使いでこの日やって来ていた孫王の君は、そんな彼に向かい、くす、と笑う。 「大変な夜だからこそ、立ち走りやすい格好にさせられたのでしょう」 意地悪、と仲忠は彼女につぶやきながら、袴や指貫を身につける。 そうこうしているうちに、尚侍が生まれたばかりの赤子を綺麗に拭いて、切り立てのへその緒を袴に包む。 そしてようやく赤子を抱く。 その様子を気取った仲忠は、一宮の寝所の側に跪いた。 「まず僕に抱かせて下さいな」 まあ、と尚侍は驚いた声を出す。 「そんなことできますか。どうして外に出られましょう? 判らないひとね」 そこで仲忠は帷子をかぶる様にして、上半身を中に差し入れる。 「…あ、大きい…」 「でしょう?」 女御もそう言って微笑む。 「大きくて―――首も太くて… 子犬の様にしっかりして…―――うん、可愛らしい子犬みたいだ」 「まあ」 くすくす、と尚侍は笑う。 「でも可愛い。本当、可愛い」 「ええ全く。こんな、生まれたばかりで可愛らしい子は滅多にありませんことよ」 幾人もの子を生んだ女御は自信を持ってそう言う。 「ああ…でもこんなに大きい子だったからこそ、一宮、あなたがこんなに苦しんだんだね。ありがとう、本当にありがとう」 そう言いながら彼は赤子を懐に入れた。 やがてその様子を見た正頼が、自分にも抱かせてくれ、と寄って来る。 「すみません。今は誰にもお見せできません」 「おやおや」 困った奴だ、と正頼は思う。何はともあれ自分はその子の祖父なのに、と。 だがすみません、とそれでも照れ臭そうに笑う仲忠の姿があまりにも可愛げがあったので、まあいいか、と思うことにした。 「今から誰にも見せないつもりなのだな。大変な姫君だ!」 仲忠はともかく手の中の赤子をいつまでも離さない。 「珍しいの? そんなに」 「うん… それだけじゃないよ。母上。うん、とっても―――とっても、…」 仲忠は言葉に詰まる。どう言っていいのか判らない様だった。尚侍は驚く。 一方一宮はほんのりと笑う。よかった、と思う。仲忠があんな表情を見せてくれるなら、甲斐があったと思う。 「母上、あの『りうかく風』をこの子のお守りにしてはいけませんか?」 それを聞くと尚侍は明るく笑った。 「まあ、すぐにでもこの子が弾ける様になるようなことを言うのね。それにしてもこんな所でも琴! もっと他に言うこともあるでしょう?」 「…こういう時だから、言うのです、母上。あの琴の声がする所には、天人が舞い降りて来ると言うから… 生まれた子には、何よりもの贈り物だと」 「そうね。急いでうちの方へ取りにやらせればいいわ」 仲忠は慌てて館の方へと使いをやる。 「ほら仲忠、君のご所望のものだ」 使いから弾正宮が受け取り、仲忠へと渡す。彼はまだ赤子を懐に入れたままで、唐刺繍の袋を受け取ると、すぐに取り出す。 「…ああ、ようやくこれを渡すべき子ができた。―――後々がどうなってもいい、今、僕が託すべき子ができたんだ!」 つぶやくと彼は早速、「ほうしょう」という曲を弾き始める。 仲忠の引く琴の手は、派手に賑やかだが、一方しんみりとしたものもあり、聞く者皆がぐいぐいと惹きつけられる様なところがあった。 さしづめそれは、あらゆる楽器と琴を調べ合わせた様な大きな音の様なものだ。間近で近くで聴くよりは、遠くで響きを楽しむ方が心地よい様な。 そんな音が響きわたったのだ。 この日邸内に住む婿達皇子達は、やった、とばかりに手を叩いて喜んだ。 「聴きましたか?」 「ええ聴きました。あれはまさしく、仲忠の琴ですよ」 「あの滅多に聴くことができない!」 「帝の命でも動くことが無い仲忠の!」 「皆お聴きなさい、きっとお祝いごとがあったのですよ」 「ああ何で我々は気付かなかったんだろう」 「そうだ、こんなことをしちゃいられない。側で聴かなくては」 「おお、行きましょう」 「行きましょう」 とか何とか言いつつ、眠っていた者も起き出して、皆慌てて近くへ行こうと支度をする。 ある者は履き物も穿かず、ある者は着物もちゃんとしないまま、慌てて一宮の産所の前に当たる東の簀子へと集合した。 その大勢が立つ様子ときたら、木を並べて植えたかの如くだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.06.02 14:58:39
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