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カテゴリ:時代?もの2
「んー、でもこれは墨がついてしまっているからね」
そう言うと彼は「こっちのが白いよ」と卓の上にある食器を代わりに十宮に渡す。 十宮は首を傾げつつも、そのままとことこと他の人々を回って行く。 周囲の人々は、兼雅のいつもと違う振る舞いににやりとする。中には昔のことを思い出したのか、ふふ、と笑うものも居る。 皆それぞれの思いを持ちながらも、どんどん十宮の杯に酒を注いで行く。 「ちょっと宮さま、お酒、多すぎませんか?」 そう心配する声もあった。実際杯の中は、溢れそうな程にいっぱいになっている。 だが小さな十宮はむきになってか。 「大丈夫です」 そうけなげに言うと、そろそろと兼雅の元へと持って行く。 「どうも、ありがとうございます」 兼雅は杯を受け取ると、十宮を再び抱きかかえ、次の人へと回す。 その時、順の和歌を行正が書いていたので、硯が近くにあった。 それに気付いた兼雅は、ちょっとした隙をつき、その硯と筆を側に引きつける。そして果物に敷いてある浜木綿の葉を取ると、こう書き付けた。 「ああ、何と久しぶりなことでしょう。 ―――いつまでもいつまでもあなたの前に現れるであろう葦田鶴/自分も、どうして昔のことを忘れられましょうか」 そして十宮に「母上にね」と言ってそっと渡す。 何なのか判らないままに、十宮はこくんとうなづくと、そのままとことこと再び母の元へと戻って行く。 そんな一幕が演じられている間に、彼の息子に関する言葉があちこちで発せられる。 「それにしても、まあ皆歳を取っても学問はすることはするんだが、この仲忠は、真面目に一体いつの間に、この様に深い学問をしたのだろうね。こんな無礼講の席に出るのは、彼の本意ではないだろうな」 忠雅が言うと、正頼は扇をぱたぱたとはためかせながら笑う。 「いやいやそんなことは無いだろう。仲忠も今夜は大役だった。全く本当に」 「それじゃどうしてその大役の仲忠の座を低くするんですか。今夜ばかりは彼は上座に。さあさあ」 中務宮も言う。すると聞きつけた兼雅も面白くなり、息子を焚き付ける。 「さあさあ早く、皆さんもそうおっしゃってることだ」 仲忠はこの時、殿上人の座のある簀子に居た。そこから皆に押される様にして、上座へと移動させられる。 「さあさあこれから、御簾の内の女君達から、お食事のお残りを頂戴致しましょう。蒜の匂いのする御肴をぜひ頂きたいものです」 式部卿宮までもそう言う。続いて忠雅が。 「私も兼純も頂戴しましょう。どうか下さいませ」 「さあさあ、左大臣が仰らなくとも、遠慮なしに頂きに参りますよ」 中務宮も言う。兵部卿宮も高い声を張り上げて、あれこれと言い立てる。 次第にほのぼのと夜が明け始める。 その中を、行正が階を降りて「陵王」を繰り返し繰り返し、素晴らしく上手に舞う。 おお、と周囲の皆が驚く。 「これはまた、世の中で見たことも無い程、見事な手だな。どうしたことだろう」 「嵯峨院の大后の御賀には、宮あこ君が舞われたのが素晴らしかったのだが…」 「そうか、行正が伝えたのだな」 皆はあの折りの不思議を納得する。 行正はこの日、いい気分になっていたのだろう。普段は隠しているというのに。こうもあからさまに自分の手を披露してしまうというのは。 成る程、と皆が騒ぐ中、正頼の息子達は、客人達への被物を用意していた。 仲忠は宮達に一度に被物を取って渡す。それは皆、女の装束、産着、襁褓が添えてある。 涼も同じ被物を手早く持ち、未だ舞い続ける行正へと砂子の上に降りて渡す。 その様子がまた非常に美しく、人々の目には映る。 左右の近衛司の幄舎の人々は、行正の舞いや、その舞人に被物をする人々、殊に涼の艶に美しい様子を見てこう思う。 「色々と今日はあったけど、これこそ一番面白い見物だな」 被物は続く。 三位中将以上には白い袿が一襲、袷の袴が一具。 四位五位には白い袿が一襲。 六位には白い布で強く糊で張った狩衣。 下仕えには一匹の絹を巻いた「腰指」。 上から下まで、被物の趣味は大層素晴らしいものだった。 そのうち、それぞれの幄舎で唐楽の曲を演奏し、孔雀や鶴の舞いを披露する。 すると御簾の内に居る女君達―――一宮、女御、尚侍をはじめとてた、正頼の娘や御達、それに女房達が、騒いで見ようとする。 その御簾の中から、黄金を柑子ほどの大きさに丸めたのと、小さな銀の魚が二つ出された。 式部卿宮がそれを取り、孔雀に黄金の柑子を、鶴には銀の魚を与えた。 それぞれが、嘴でそれを挟んで舞う様はまた実に面白いものだった。 孔雀の舞人は、禄として袿を、鶴には白い綾の子供の単襲を一具与えられた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.06.17 14:38:26
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