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カテゴリ:うつほ物語
その五の二 亡くなった仲純にせめてもの
三条殿に戻ると、祐純はすぐに北の大殿の両親の元へと向かった。 「用のついでに藤壺へお伺いに行ってきました」 すると正頼は身を乗り出す。 「おお、どうだったかね」 「ええ…」 祐純は藤壺でのあて宮の憂鬱の件、贈り物の件を二人に詳しく話す。 「成る程な。今度のお産の時のことを聞けばついそう思ってしまうのだろう。しかし世の評判はどうあれ、只人には限界があるものだというのにな… まあ、人は見栄えや心や振る舞いが目につくものだ。だから仲忠の様な、その点で何もかもが優れた者と女一宮が結婚したことで、あてこそも嫉妬を感じるのだろう。…もっとも、それで東宮さまを軽んじるというなら少々何だが…」 ううむ、と正頼は腕組みをし、暫し考える。やがて納得した様にうなづく。 「しかしまあ、仲忠相手なら仕方が無いだろうな。あれはあまりにも飛び抜けていすぎる。それが共に育った女一宮に、他に女は居ないとばかりに尽くしていると聞けば、宮中にあれども、女という女誰でも嫉妬の一つもするだろうな」 「確かに」 祐純も口を挟む。 「男である私から見ても、仲忠は何と言うか… 何をしたとしても許してしまいたくなる様な風情がございますからね」 まあ、と男達の話を傍らで聞いていた母大宮は呆れる。 「何せ亡くなった仲純なんぞ、あれを妻か子の様にしていたから、何処にも女を作らなかった程ですよ」 「仲純か… そう言えば彼奴等は兄弟の契りを結んでいたと聞くものな」 「そうです。男同士ですらそうなのです。ですからそういう人と結婚できる機会が少しでもあったのにできず、宮仕人として夜も昼も心無いお仕えをしているとなれば、それはそれで非常に可哀想なのではないでしょうか」 すると大宮は手を挙げ。 「しっ、壁に耳ありと言いますよ。祐純、言葉には注意なさい」 「それでもね、母上。嘘なら慎まなくてはならないと思いますが、皆ある程度は感づいていると思います。子供の数は少なくとも、あれの母君の様にお育てするのがいいのでは? 何せうちは大勢でも、何やら皆豚の様で、役に立つ者は一人もなくて」 「まあ、何てことを」 「それでも役に立つと皆で期待していた仲純は若くして亡くなってしまった。それが私には残念で」 仲純、と聞くと大宮はかつての悲しみが揺り返されるのか、ふっと涙ぐむ。 「…実は父上、母上」 祐純は意を決して切り出す。 「実は、仲純があて宮の夢に現れるというのです」 「何だと」 「何ですって」 正頼夫妻は同時に驚く。 「お聞きしましたところ、道ならぬ罪障のせいで成仏もできず、あの方の夢の中に現れたというのです」 間違ってはいないが、肝心なことを隠して祐純は打ち明ける。 「どういうことでそうなったのだろう?」 正頼は首を傾げる。 「我々やきょうだいを恨む筋合いなどあれにあっただろうか。…官位は私の地位や、そなた達きょうだいの関係で、あれ以上につけることは無理だったことは仲純も知っていただろうに」 「父上、男の執念というものは何と言っても女のことに尽きるのではないでしょうか」 「何だと」 正頼は腰を浮かす。 「確かに仲忠のことは可愛く思っていたかもしれませんが、それはそれ。奥ゆかしい仲純のことでしたから、色にも出せない恋をしていたのではないかと」 「…誰か、心当たりがあるのか?」 「ええ」 祐純はうなづく。そして言葉を慎重に選んで。 「中の大殿の宮達の中に」 宮、という曖昧な言葉で彼はぼかす。女御の生んだ一宮等は勿論、大宮の生んだ娘も某宮と呼ばれるのだ。 さすがにそれを聞いて、大宮はその場にわっと泣き崩れた。 やはりそうだったのか、と彼女は自分の考えが間違っていなかったことを確信した。 「…だがそんな素振りは全く見えなかったが」 「ええ、そんな素振りはまるで」 大宮は小さくつぶやく。 そう、決して見せなかった。自分達両親の前では見せまいと努力していたのだ。…それでも、判ってしまうものはあるというのに! 何故あの子は。大宮はふと自分があて宮を憎みそうになっていることに気付く。決して彼女のせいではないというのに。 「…ともかく誰であれ、良かれ悪しかれ、男は男、女は女として、別に扱うべきでした。それは私の落ち度です」 「いやそなたの」 「いいえ、中の大殿の子達に関しては、私のせいです。皆始終一緒に暮らしていて、仲良く楽しそうだったから、それで良かったと思っていましたが… そういうことが起こる可能性もあった訳です。可愛い姫達は大勢居ましたから、何処かで間違った心を起こしたとしても、仕方がなかった… 私のせいですわ」 「相手は」 正頼の声にはっと二人は顔をあげる。 「女一宮ではないだろうか」 二人は唖然とする。呆れる。そんなこと、想像もしていなかった。 「そうだそうだ、女一宮だ。宮はあれに思われても仕方が無いくらい美しい姫だ。現に今、あの仲忠でさえ夢中ではないか」 正頼は自分の確信にやや嬉しそうに手を叩く。 その様子を見て、母子は咄嗟に視線を交わす。祐純は別の件ではっとする。 母は知っているのだ。彼は気付く。 正頼の間違いは可笑しい。だが祐純、そなたはどうなの? そう彼女が問いかけている様に、祐純には思われた。 彼は思う。母には全く敵わない、と。 実際彼は、この現在の時点で、女一宮をほんのりと思っていたのだから。 無論「あの」仲忠が熱愛する妻となった今では、思ったところでどうにもならないと思っている。 それに彼には皇女の妻も居る。過ちを冒そうとは思わない。いつかこの思いも消えて行くだろう、その日を待っている。 「仲純には無理やりでも妻を持たせるべきでしたね」 「そうですね。その方が良かったかも、と今では私も思います」 大宮も同意する。 「誰であれ、それでも情が湧けば、仲純ほどの男のことですから、それを置いて病気になることもなかったでしょう。実忠とは違って」 「…あれは少々情けのうございます」 大宮は吐き捨てる様に言う。 「まあ言うな。あれはあれなりの純情なのだろう」 「…ともかく父上」 実忠への弁明はあまり聞きたく無い様な気もしたので、祐純はすかさず話題を変える。 「仲純のために、これから誦経をお願いします。その誦経の文には、執念の罪障を免れしめ給え、と書かせて下さい」 「おお、そうだな。今問題なのは仲純のことだ。早速手配しよう」 「そう、それも出来るだけ美しく――― 右大弁季英どのにお願いしたいのですが」 「判った。藤英に頼もう。仲純のために心を込めて願文を書いてくれ、とな」 それではお願いします、と言って祐純はその場から立った。 「…何だねあれは」 正頼のつぶやきに、大宮は首を傾げる。 「たいそう真面目な男だと思っていたのに、何故いきなりあの様なことばかり言い出すのだろう。あて宮にせよ、仲純にせよ、そんなこと、考えもできなかったぞ。それが本当であれ何であれ、わしには考えつきもしなかった。いや、そんなことどうでも良いではないか」 このひとは、と大宮は内心嫌な気持ちになる。 正頼には恋をするという感情が無いのだろう、と彼女は常々思っていた。 確かに自分に過去、求婚の形の文を送ったことはあった。大宮も当時はその言葉に胸をときめかせたものだ。 が、一度夫婦として同じ屋根の下で暮らす様になって以来、そんな思いは何処へ行ったのやら。 確かに頼れる人ではあるのだが、若いひとの思いというものに、あまりにも無頓着になっていないか。 そう大宮は感じるのである。 だからつい、嫌味になってしまう。 「誰か綺麗なひとにでも、思いをかけているのではないですか? そのひとに望みが無いと思って、勝手なことを言うのでしょう」 母は気付いていた。祐純の一宮に対する思いを。 だが祐純の思いは決して叶わないだろうし、危ない橋を渡る男でもないことも知っていた。だから傍観していた。 しかしここで夫にそのまま言うのも何だし、―――と。 「全く、お互いに親しいのはいいことなんだが、恋愛沙汰まで引き起こすのは困ったものだな… ともかく仲純のためには精一杯のことをしてやろう」 はい、と大宮は答えた。可哀想な子のために、彼女はできるだけのことをしてやりたかったのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.01.12 01:14:06
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