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カテゴリ:吉屋信子の大人向け作品研究
今回はまあ、メモです。
もしくは今後誰か参考にしてくれたらいいなー的な。 まあそれ以前のブログの部分もそうと言えばそうなんですが。 吉屋信子の作品がダブルスタンダード感激しい、というのをずっと述べてきたんですが、「花物語」「屋根裏の二処女」「愚かしき者の話」「蝶」はそうでもないよね、という感があります。 「花物語」はまあ彼女のスタートであるし、綺麗な言葉に隠れて不穏なエッセンスにあふれてます。ただし心中とか身を引くとか、結局現実的対応ができないのですが。 「屋根裏~」は理想の女性が何だかんだで自分の投影キャラを愛してくれるという。願望だよな、と。 「愚かしき~」はだらだら感、もしくは投影キャラの不平そのものが、吉屋信子の本音であるとも。 「蝶」は大人向けの大衆小説のジャンルの中で唯一、「夫より好きな女性を選ぶ」という、ダブルスタンダードが無い話です。ただこれも花物語の延長と言えば延長なんですが。何だかんだ言って、心中しかできない。 なのですが。 昭和2年あたりの短編で、「王者の妻」「女人涅槃経」という意図してかどうか分からないけど、同じ主人公夫婦だろう二作があります。 ただこれは主人公が「章子」ではなく「章男」なんですね。 前者はO・ヘンリ的な話ですな。 彼は高学歴ではない会社勤めで、周囲の高学歴出身にコンプレックスを常に抱いてます。 その彼が、同僚の女性を好きになり、結婚します。 彼はその生活の中でも、育ちから来るみみっちさが時々顔を出して、妻を困惑させます。 冬にコートを新調しようと考えますが、そんな折に郷里から金の無心が来て、コート資金を送る羽目になります。彼は郷里の家族により「いつも搾取されるものなんだ」と考えています。 そんな彼に、妻はコートを送ります。で、贈り物は交代でしよう、という提案を。 そのプレゼントに「人に与えるのは王者のみ」という意味のカードがついている、と。 後者はこの彼が少し余裕が出てきた頃の話になってくるんですが。 ある程度余裕が出てきたので、妻に仕事を辞めて家に居てほしい、彼はいいます。 で、家の中も落ち着くし、ゆったりした雰囲気に幸せを感じる様になってくる彼ですが。 そろそろ子供も―――という話になります。子供にまた搾取されるのか、と思いつつも、決めてしまってからは、バースコントロールをやめたり、子供部屋のこととか考えたりします。 なのですが。いざ出産のときに、妻が骨盤が狭くて難産、子供を人工流産させないと妻の命が危険だ、という事態に。彼は迷うことなく妻を選びます。 妻はその後ふさぎこんで、結婚前に強かった処女病(というかたぶんこれはセックスレスを望む状態)が振り返します。彼女曰く「女は子供を産むことによって清められる」。 彼は一緒に旅行して、いっそ二人であちこち旅してまわろうか、とか夢のようなことを言うようになります。妻もまた、「子供の分まであなたを二人分愛する」ということで落ち着きます。 そのあと上司が亡くなり、妻が上司の奥さんに子供あての手土産をもって出向くんですが、そこで言われたのは、「子供はいつか出ていく、何より夫」と言われるんですね。 さて。 この話が他と違って妙に安定しているんですね。 確かに「女は出産によって清められる」とセックスそのものは罪であるかの様なことは言ってるし、結局「自分達の子供」はできないんですが。 ただ、ダブルスタンダードは感じにくいんですな。ではそれは何故か。 これが「主人公/作者の視点が男にある」からじゃないかと思うのですよ。 そう思えば、「奥さんの愛情は子供に取られることなく、自分一人に集中して幸せ」という本音が見えてくる感が。 だとすれば、吉屋信子自体の本音がそこにある感も見えるんですがね。男性の肉体を持っていたならば、割と苦無く勝ち得ていたかもしれない彼女にとっての「幸せ」。母親等、実家の親に愛されなかった分を、全て補ってくれる妻に、子供という厄介者、搾取する者もなく、ただ自分だけを愛してもらえる状態。それが何よりも求めるものだったのではないかと。 実際戦後の話でも、男目線で描いている時の話は割と違和感が無いんですよ。 女目線で描いている時に異様なねじれを感じる。 その辺りをもう少し誰か突っ込んでくれないかなあ、と思うんですがww 戦後短編に関しては、吉屋信子は結構評価されているんですよ。「幻想的作品」「怪談」として。 ただこの戦前の短編に関しては、一応当時の論壇でも批評の棚に乗せられている位置にあるんですが、話題に上らない。 興味深い作品もあるんですぜ。「男のいない風景」とか、米国のトイレに感動したとか。ずらりと並ぶストッキングにつつまれた女性の足が並ぶ様の美しさとか。 やっぱり心中話とか。 「蝶」にしたって、幻想譚に行くまでのプレ段階と思えば誰か見てくれないかなあと思うのですが。 何でまあ、作品間の関連とかについてあまり語られないのかなあ、と思うわけですよ。 沢山書くひとというのは、似た作品だってあれこれ描くし、あかんなーという「出来」のものもあったりする。このひと多作なので、この話はこの話のブレ段階だよな、とか、この話はまとめようとして失敗したな、というのが結構透けて見えるんですよ。 だからなー。研究対象として、「花物語」ばっかりやっていないで、大量の大人向け作品も見てくださいよー、とか思うんですがねえ。 「文学」っちゅーより「文化」として。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.02.08 15:02:05
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