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テーマ:愛しき人へ(908)
カテゴリ:歴史
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 今後、豊田さんが在家信者だった頃の話や出家信者だった頃の話を書いてもらえると嬉しいです。 . れーな さん ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ . 選ばれたものと、残されたもの 薄皮一枚の差なのに、永遠と思えるほどの距離 . 神に選ばれたものは喜び、残されたものは悲しむ しかし悪に選ばれたものは悲観にくれ、残されたものは安堵する . ~あるユニットチームの思い出~ . その時には、彼にはまだヴァジラパーニという名前がつけられていなかった。 この降って湧いたワークのプロジェクトチームにおいて、在家信徒は僕と豊田くんだけであり、それ以外はアーナンダ(井上嘉浩)、クリシュナナンダ(林郁夫)、ティローパ(早川紀代秀)というメンバーだった。 全員、教祖の掛け声、アーナンダの掛け声で急遽招集され、1週間程度はみな徹夜をともにするのである。 . この編成チームは、僕が入信し1週間から2週間に満たないなかで結成された。 宗教的回心が突然芽生えてしまった僕は、教団に許可を取らず、東洋医学を元にした「病は癒える」というビラを独りで創案し、街中に配り歩くようになっていた。まるでイスラム諸国に出向きキリスト教を健気に布教するフランチェスコのような無謀さににて、僕はオウムの知名度の悪さに関係なく、突然エンジンがかかってしまったのだ。それは厳密にはオウムのそれ(教義)ではなかったが、この行為は、他の信者の懐疑的な視線を浴びながら、ひとりアーナンダ(井上嘉浩)だけが、僕に心を止めた。そして感嘆する… . 入信後僅かな期間で、堰を切ったようにように慈善活動を行いたくなっていた僕のもとに彼は訪れ、早速このビラは熟考吟味され、教祖・麻原の目に止まり、これは全国支部展開するビラ、そして後に、正式な教団刊行物「病は癒える」になるのだ。 . この行いについて、当時教団では「サットヴァ」(善性)とよばれ尊ばれ、僕は教団信者の中で一目置かれ有名になってしまう。 このような経緯があり、当時の劇的な出会いは、僕の魂に深い感銘と絆を産み落としてしまった。 その後はずか半年で、脱会に至るまでの間、なぜにあんなにも心を動かされたのか、自分でもわからない… 宗教心というものは、時に理性で制御可能な範囲を超えてしまうものがあると思う。 . 当時、豊田くんと井上くんとの関係は、僕と井上くんの関係と同一の視線を持っていた。 在家時代、僕と彼はアーナンダや教祖のことばかり話題にしていた。少しはにかんだ感じで朴訥と話す人だった。 「わたしなんて出家なんてできるわけありません…」と語っていたのをよく覚えている。 . 今振り返れば、当時のメンバーは、林郁夫さん独り残しもうこの世にいない。 . . 彼(豊田亨)は、95年5月15日、日本中を恐怖の底に陥れながら、アーナンダとともに捕まる事となる。 . アーナンダ(井上嘉浩)は死刑執行され ヴァジラパーニ(豊田亨)は死刑執行され クリシュナナンダ(林郁夫)は無期懲役となり ティローパ(早川 紀代秀)は死刑執行され . 僕は、ひとり、生かされている 教団の計画を知ることもなく、 薄皮一枚で、危険なワークにはつかず、 しかし、教祖・麻原には非常に近いところまで近づき、 教団の闇を感じ取り、 怖れを感じ、勇気を振り絞り、 必死の思いで世の中に出て、知りうる限りのことを告発していった . 今でも自分が「生きていること」自体が奇跡的なことだと感じているんだ。 . . . Eili ...
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このプロジェクトの話は初めて聞きます。
私が知ってからの彼は、それほど井上さんに特別な想いがあるようにはみう (2018年09月27日 15時07分48秒)
このプロジェクトの話は初めて聞きます。
私が知ってからの彼は、それほど井上さんに特別な想いがあるようには見えませんでしたので、意外な感じもします。どちらかというと、中川さんに色々な想いがあるように感じてました。(もちろん、憧れとか尊敬とかとは違うものですが) 本人からお聞きしたのではなく、あくまで私が、傍聴等していて感じていたことです。 (2018年09月27日 15時11分24秒)
最初途中で送信してしまいすみません
(2018年09月27日 15時12分23秒)
まさか本当に豊田さんの在家時代の話を書いていただけるとは思っていなかったので嬉しいです。ありがとうございます。
また違ったエピソードがあれば、それも今後書いてもらえると嬉しいです。 豊田さんや井上さんは、麻原さんのどういう所に魅力を感じたのでしょうか? 坂本弁護士事件や高額なお布施に疑問をもたなかったのでしょうか? 豊田さんは当初、出家をする意思はあまりなかったようです。それなのに何故、出家してしまったのでしょうか?(出家しなければ逮捕されることもなかった)また、拉致みたいな事はあったのでしょうか? 私は、拉致されたというより、信者達の執拗な誘いに断りきれなくなり出家してしまったのだと思っていますが。。。 (2018年09月27日 19時12分56秒)
秋の姫さんへ
在家時代の彼も口数の少ない人ではありましたが、それでも笑顔はありましたし、何かはにかんだような顔をして謙遜した物言いを記憶しています。かなり出家の誘いは強かったのではないかと思いますが、「自分は今生は在家で充分です…とてもそこまでは…」とその時は口にして拒んでいました。それは在家の人たちは、ちょっと出家信者に、怖れをなして、引き気味であったのは事実です。僕も、やってはみるものの、そこに全部賭けるっていうのは、どういうものか…と、だいぶ悩んでいたのを思い出します。それでもあの熱気っていうのはすごかったです。特に説法…あれ、聞いちゃうとやばかったです。 (2018年09月28日 22時14分35秒)
れーなさんへ
出家には消極的な彼が、一線を超えたのは、シークレットヨガと呼ばれる、教祖と一対一での面談になります。その面談の後、出家することになったと聞いています。どんな話がなされていたのか…それは彼と教祖の二人しかわかりません。現世からは「失踪」するように彼は出家してしまったのです。 (2018年09月28日 22時17分55秒) |
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